ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、ウォー・オン・ドラッグスと元メンバー・カート・ヴァイルの新作『Slave Ambient』『Smoke Ring For My Halo』について。前者がボブ・ディランなら、後者はややブルース・スプリングスティーン入り? いまの世代のアメリカン・ロックがここにはあって――。
スティーヴ・ジョブズの伝記、おもしろかったです。エピソードを読んでみると、彼はなかなかの山師ですよね。ポール・トーマス・アンダーソンの映画「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を思い出しました。石油がPCになっただけで、アメリカはずっとこういう感じでやっているんでしょうね。日本もそうなんでしょうが、アメリカは、先祖代々の国じゃないというのが、えげつなさを生んでいるような気がします。
なかでもボブ・ディランとのエピソードの部分は、大ボラ吹きで笑ってしまいました。スティーヴ・ジョブズは、ボブ・ディランからホテルに呼ばれ、テラスで〈僕はもう言葉が降りてこなくなったんだよ〉〈でも、僕は歌い続けることができる〉という言葉を聞き、それを神の声として、〈僕はプログラミングも何もできないけど、凄いPCを作れるんだ〉と解釈した、という話が出てくるんですけど、ボブ・ディランがそんなことを言うか? 言っていたら、一大事件です。
言葉が降りてこなくなって、いまはずっとネヴァー・エンディング・ツアーをしているというのはボブ・ディランの歴史を紐解いた名著「ダウン・ザ・ハイウェイ」に出てくる説であって、ボブ・ディランがそんなことを言うわけない。
恐ろしいです。スティーヴ・ジョブズほどの人物がこんなことを言うなんて、風評被害ですよ。ボブ・ディラン会社に訴えられますよ。
スティーヴ・ジョブズはボブ・ディランのコンサート音源をすべて収集しているようなディラン崇拝者なのに、こんなことを言うんですよ。本当に恐いです。ジョブズは〈『Blood On The Tracks』以降のディランは良くない〉と言ってますが、ディランの力もここまで地に落ちたかという感じです。
でも、カート・ヴァイルやウォー・オン・ドラッグスを聴いていて思うのは、ボブ・ディランのあの感じを、こうも軽々しくやる連中が出てきていいなと言うことなんです。
ウォー・オン・ドラッグスの新作『Slave Ambient』の1曲目“Best Night”なんか、エレクトリック処理されたローファイなドラムと“My Back Pages”の頃のボブ・ディランのメロで歌うのですよ。思わず青春してしまいます。フェルトもこういうことをやっていたと言えば、そうなんですけど、こんなに上手くやっていなかったです。2曲目“Brothers”はディランなメロに、ストーン・ローゼズ風のメランコリックなアルペジオが絡むんですよ。最高じゃないですか。こんな軽い感じでやるのっていいじゃないですか。
ウォー・オン・ドラッグスを辞めたカート・ヴァイルの4作目『Smoke Ring For My Halo』も、そんな感じですよね。いつまでも聴いていたいような気にさせる前作『Childish Prodigy』のドラッギーな感じが少し薄れた気がしますが、そのぶん王道アメリカン・ロックのスパイスが効いているような気がします。ウォー・オン・ドラッグスがボブ・ディランだとしたら、カート・ヴァイルにはややブルース・スプリングスティーンが入ってきているような気がします。
いまの若い人がこういう音楽を聴いて〈良いな〉と思うのはあたりまえだと思うので、居酒屋なんかでロックの能書きを垂れるオッサンに絡まれたら、〈ウォー・オン・ドラッグスとかカート・ヴァイルって知ってる? フィラデルフィアのボブ・ディランみたいなロックを奏でる奴らなんだぜ。格好良いよ〉って言ってやればいい。いつまでも同じ音楽ばっかり聴いているオッサンたちを、ギャフンと言わせてやりましょう。