長年バイイングに携わってきたタワースタッフが、テクノについて書き尽くす連載!!
なんとロンドン・オリンピックの音楽監督に就任したというニュースも飛び込んできたアンダーワールド。そして、デビュー期にはいろいろな説があるが、とにかく再デビュー20周年を記念してベスト盤『A Collection』とレア曲込みの3枚組ベスト『1992 - 2012 Anthology』がリリースされるということで、今回は、90年代のテクノ・ブームの原動力の一つであった彼らのダレン・エマーソン在籍期のみを、テクノ警察的に語ります!
アンダーワールドとの出会い、それは93年8月、日本テクノ史に多大なる影響を与えた伝説のラジオ番組――というより、これがなければ日本のテクノ・ブームはなかったであろう〈電気グルーヴのオールナイトニッポン〉のおすすめコーナーでプレイされた“Rez”であった。しかも同年の最後の放送では〈93年のおすすめベスト〉ということで、AMラジオなのに7分近くをフルレングスで(!)再度プレイされ、当時のリスナー同様、筆者も荒ぶりまくったのは言うまでもない。だが、〈欲しい!〉と思ってもその時点ではアナログ盤の流通のみで、とっくに売り切れ。どこでも入手できない状態であった。
この有名なピンク盤は、B面の“Why Why Why ”が今回の『1992-2012 Anthology』で初CD化される。筆者も現物を1回のみ見たことがあるのだが、それは大阪の名クラブ・ROCKETSで何かのパーティーの時に10万円(!!!!!)で売られていた時のみである。話を戻すと、筆者はラジオのチェックと同時に石野卓球の「TVブロス」の連載やらで周辺情報を探り、DJプレイも含め〈ダレン・エマーソンがスゴいのだ〉という印象を持ったのだった。というより“Rez”がインストだったこともあって〈アンダーワールド=ダレン〉という印象が強かったのだった。
そして筆者の初ゲットとなったアンダーワールド作品――あまり語られぬがカッコ良いシングル“Spikee/Dogman Go Woof”を経て、94年にファースト・アルバム『Dubnobasswithmyheadman』が出た時は転げ回りながら購入、そしてお目当ての“Rez”が収録されていないことに泣いたのも良い思い出である。購入当時、“Rez”目当ての耳では“Rez”の変奏曲である“Cowgirl”は超気に入ったのだが、他の曲は何か辛気臭いヴォーカルが入ってイマイチだ……という印象だった。だが、いま聴けばデビュー曲“Mmm Skyscraper I Love You”も“Dark & Long”も非常にカッコ良いわけで、当時の筆者がいかに〈“Rez”脳〉だったか反省する所存。
そして同年7月に、アンダーワールドが待望の初来日。大阪はCLUB QUATTROでのライヴ→京都の伝説のクラブ・MUSHROOMでのダレンのDJという2部構成で、ライヴの印象は巨大な卓を操るダレンに萌え、カール・ハイドの持つギターのカッコ良さと、そのギターの弾かなさっぷり、“Rez”がプレイされた時のフロアの炎上、MUSHROOMでのダレンのプレイがスゴかったという印象が残っている。その前後に、“Cowgirl”とカップリングで再発された12インチでやっと“Rez”を購入して、長年の“Rez”への思いは成仏したのだった。蛇足だが、“Rez”は曲も神懸かりながらPVも素晴らしいので、ぜひチェックしてほしい……というか、アンダーワールドのアート全般を手掛けるトマト仕事はどれも素晴らしい。『Dubnobasswithmyheadman』あたりのタイポグラフィーを多用したアートワークに影響を受けた人は多いと思う。
その後の思い出は、いまなお彼らの代表曲である“Born Slippy”がリリースされた時は意外に地味だったこと(映画「トレインスポッティング」に使われてから大ブレイク)、その直後にリリースされたケミカル・ブラザーズ“Leave Home”での彼らのリミックスがスゴすぎたこと、2作目『Second Toughest In The Infants(邦題:2番目のタフガキ)』発表後――96年8月の〈Rainbow 2000〉でのライヴが素晴らしかったこと(詳しくは当連載の第4回でどうぞ)、大阪の伝説の良ハコ・ベイサイドジェニーで開催された99年4月の来日公演時はリッチー・ホウティンが共演だった……など、筆者のテクノ体験の多くがモロにアンダーワールドと関連している。
つまりアンダーワールドは筆者にとって恩人であり、決して足を向けて寝ることのできぬ存在なのである。そして90年代にテクノに染まった同士たちも同じであると思うのだ。そしてダレン脱退後、ロック・フェスでヘッドライナー級の存在になった彼らも素晴らしいのだが、やはりアンダーワールドは初期も聴くべきであり、このベスト盤はその絶好の機会であるのだ。
とは言え、初期と言ってもダレン加入前の『Underneath The Radar』(88年)や『Change The Weather』(89年)まで遡るのは勉強しすぎなので注意である(普通のエレポップ・バンドなので)。
PROFILE/石田靖博
クラブにめざめたきっかけは、プライマル・スクリームの91年作『Screamadelica』。その後タワーレコードへ入社し、12年ほどクラブ・ミュージックのバイイングを担当。現在は、ある店舗の番長的な立場に。カレー好き。今月のひと言→実は、90年代のテクノのことはネットにも情報が少なく、今回は薄れゆく記憶との闘いでしたが、資料探しで家を捜索したら希少なフライヤーが発掘されて驚愕。驚愕といえば一部で話題のOL Killerを観てきました。トイプードル(あの人)は最高でした。テクノであんなにカッコ良くデーンスする人、観たことないよ!