トミー・リピューマ&ダイアナ・クラールのバックアップによるポール流のスタンダード集
ポール・マッカトニーという稀代のアーティストの、特にソングライターとしての才能を育んだ背景に、50年代の米国のR&RやR&Bに加え、それ以前のポピュラー音楽への関心があり、それにはジャズ・バンドを率いたミュージシャンでもあった父からの影響が大きいという事実は良く知られている。だから、幼い頃に父のピアノで初めて聴いた曲も含む40〜50年代のスタンダード曲集『キス・オン・ザ・ボトム』のようなアルバムは、いつ作られてもおかしくはなかった。
とはいえ、本作での肩に力の入っていない小粋な歌いっぷりを聴いていると、今だからこそできた作品という印象を受ける。万年青年のイメージのポールも今年で70歳。老け込んだ感じはないにせよ、さすがに見かけにもその歌声にも年齢を感じさせるようになった。そんな現在のポールの歌声の持つトーンがここに並ぶ名曲の曲調と感傷によく似合うのだ。また、彼にとって、こういった歌の古典的な愛情表現は昨秋に新妻を迎えたばかりの心境にもふさわしいのだろうと推測される。
この企画に今まで着手しなかったのは、同様な作品が近年数多く作られているので、ひと絡げにされたくなかったからだそう。ポールはその例にロッド・ステュアートの成功した『グレイト・アメリカン・ソングブック』のシリーズを挙げるが、常にポーズたっぷりのロッドとは好対照なところに『キス・オン・ザ・ボトム』の魅力がある。
ガーシュウィンやコール・ポーターの作品を外し、誰もが知っている有名曲は数曲という、本当に私的な愛着ある曲ばかりの選曲も、ダイアナ・クラールのトリオとジョン・ピザレリに全面的に伴奏をまかせた編曲も、エリック・クラプトンとスティーヴィー・ワンダーの客演という話題もあるにせよ、決して派手なものではない。だが、抑制を効かせた歌唱で特にジャズ的な技巧を取り入れずとも、ポールはミュージシャンとしての才能がずば抜けた人ゆえに、どの曲も器用にリズムに乗って歌いこなしてしまう。そんな自然体ゆえの軽やかな魅力のあるアルバムである。