轟音ギター〜シューゲイザーの日本におけるオリジネイターと言えば、このバンドを置いて他にないだろう。ヤマジカズヒデ率いるdip。トランシーで覚醒した世界をそのまま音像化したようなギター・サウンドは、今日のサイケ〜チルウェイヴ系にも多大な影響をもたらした。いや、いまなお精力的に活動する彼らにようやく時代が追いついたと言っていいのかもしれない。
ヤマジを中心にして91年に結成されたdipは、87年から活動していたDIP THE FLAGを母体としている。ダークで重い演奏が身上だったが、不思議とアンダーグラウンド臭さがほとんどなかった彼ら。むしろデビューした頃のマイ・ブラディ・ヴァレンタインや、『Screamadelica』前後のプライマル・スクリームあたりとも共振した同時代感覚を持ち合わせていたのが特徴的だった。そして、次第にヤマジによる感覚的ながらも知性を感じさせる歌詞、スピッツの草野マサムネにも比肩し得るような、ポップなメロディーが突出するようになってきた〈その時〉、彼らのファースト・ミニ・アルバム『dip』(93年)はインディー・チャートの1位を獲得。さらに広いフィールドへと活動の場を移していく。
93年、シングル 冷たいくらいに乾いたら で東芝EMI(現EMI Music Japan)からメジャー・デビュー。ヤマジ、ナガタヤスシ、ナカニシノリユキという3ピースによる研ぎ澄まされたアンサンブルと、クールな見た目とは裏腹の人懐っこい楽曲はさらに多くのリスナーを魅了していく。また、ビートルズの"Dear Prudence"や"Tomorrow Never Knows"などをドラッギーな解釈でカヴァーしたり、12インチ・シングルをリリースしてハウスなどクラブ・ミュージックへのアプローチも見せるなど、当時のギター・バンドでは珍しい試みも高く評価されていった。00年代以降も豊田利晃監督作品のサントラを手掛けたり、かねてよりソロとしての作品も人気を得ていたヤマジが、トリビュート盤にも参加したルースターズやミッシェル・ガン・エレファントの元メンバーらと積極的にセッションするなど人脈の広さを活かした活動を展開。幾度かのメンバー・チェンジを繰り返したが、現在はメジャー・デビューした頃の鉄壁のトリオに落ち着き、ふたたび精力的にライヴを行っている。
今回EMI時代の力作がリイシューされたほか、6月には彼らのトリビュート盤も届けられる予定。だが、多数のフォロワーを抱える存在となった現在も、ヤマジたちは冷たいくらいに乾いたまま、不敵な笑みを浮かべて音の波のなかをトリップしているのだ。
dipのその時々
『love to sleep』 EMI Music Japan/DAIZAWA(1995)
テキストをランダムに切り刻んで新しく繋げるという〈カットアップ〉手法を音作りに反映。それもあってか、ビートルズ“Dear Prude-nce”のカヴァーや13分に渡る長尺のタイトル曲などが、クラクラと眩暈を引き起こすようにドラッギーな仕上がりとなっている。ナガタヤスシが制作に深く関わるようになっているのも注目。
『13 TOWERS/13 FLOWERS』 EMI Music Japan/DAIZAWA(1996)
4曲入りだった2枚のEPが、2in1となって登場。それぞれ男性器と女性器を表したタイトルが呼応し合っているように、2枚共に聴いて初めてトリップできるというサイケな(?)内容で、〈ピンク・フロイド〉と〈流体〉という意味の単語を合わせた〈Pink Fluid〉など、ヤマジらしい言葉の切り貼りも随所に。
『TIME ACID NO CRY AIR』 EMI Music Japan/DAIZAWA(1997)
dipサウンドを語るのに欠かせないファズ(エフェクター)をあしらったジャケからもわかるように、疾走感溢れるライヴの感触をそのまま持ち込んだようなラフさが魅力の一枚。比較的カジュアルで短めの曲が並べられ、さらにはヤマジの歌謡曲指向が、メロディアスな曲へいつになく表れているのも特筆すべき点だ。
『WEEKENDER』 EMI Music Japan/DAIZAWA(1999)
EMI時代最後の作品。実際はほとんどの曲でメンバー全員が揃っていない状態での録音だったようで、いま聴くと痛々しさも感じられる。この後メジャーをドロップし、メンバー脱退などの危機が訪れるが、それを乗り越えられたのもサイケかつポップというヤマジ自身のソングライティングがここへきて成熟していたからだろう。