花が咲いたら実がなって、その果実を集めてギュッと搾ったお飲みもの……という感じの連想をしてしまったのですが、どうなんでしょうか。前作『わたし開花したわ』からおよそ9か月ぶりに登場するパスピエの新作は『ONOMIMONO』というタイトルです。
およそポップ音楽というものがいよいよ相対的な評価から逃れられなくなっている昨今、YUKIや相対性理論との近似性を指摘するのもいまさらどうかと思うほど、異様に高品質な楽曲の数々によって、早耳なリスナーたちの絶対評価を獲得しているパスピエ。二次元文化と親和性の高いアートワークや回文のタイトルで煙にまくようでいて、コンセプト主導の出オチに終わることもなく、よくあるサブカル万歳でもなく、単純に高性能なポップ楽団としての5人の実体をあきらかにしたのが、初の一般流通作品となる『わたし開花したわ』でした。最近ではきゃりーぱみゅぱみゅもお気に入りだというトピックもありましたが、しかしながら、新作『ONOMIMONO』を聴けば前作がまだまだ蕾に過ぎなかったということもよくわかります。わたし開花したと思ってましたわ。それほどのものです。
オープニングは、違和感なく前作の延長線上にある“トロイメライ”。大胡田なつき(ヴォーカル)の脳内に渦巻く風景をバンドの端正な演奏/アレンジによって天衣無縫に映像化していくような、唯一無二のパスピエっぽさにブレがないのは作品全体を通じての変わらない印象ですが、2曲目の“デモクラシークレット”からの展開はいままで見せていなかった彼らの表情を窺わせるものです。
成田ハネダ(キーボード)の繰り出す音色の変化からもわかるように、本人たちもチャクラなどの名を挙げ、前作のトーンをある部分で決定づけていた日本の(テクノ・ポップと呼ばれた)ニューウェイヴ感は後退。ファンキーなブレイクをアクセントにした“デモクラシークレット”をはじめ、ギターリフとクラシカルな旋律の絡みがすばらしい“プラスティックガール”、ピアノに導かれた憂鬱なパートからダイナミックに展開する“トリップ”……と、どこを切ってもバンド・サウンドとしての一体感を増したパスピエの現在がプレゼンテーションされています。
ちなみに、前作のキャッチは〈21世紀流超高性能個人電腦破壊行歌曲〉でしたが、今作のそれは〈新世代的電影時女夢想感覺樂隊〉。すなわち、『ONOMIMONO』の軸は〈歌曲〉ではなく〈樂隊〉そのものにあるのだという意識が無意識に現れている、のかもしれません。
そして、春夏秋冬をパノラミックに描いた前作から一歩踏み込んで、実在性を伴ってきたようにも思える大胡田の歌声と言葉。架空のノスタルジーから具体的なメランコリーへ視点を少し動いていることと、有機的になったサウンドがいかように触発しあったのかはわかりませんが、そうした塩梅はさめざめや赤い公園、スカートの中といった、激情性と劇場性を併せ持ったポップな新進アクトとの同時代性を感じさせるものでもありましょうし、いずれにせよ、その融和点から新しいパスピエらしさが生まれているのは確かでしょう。つまり、もう準備は整ったということですので、喉を渇かしてリリースを待ちたいと思います。