ライター・岡村詩野が、時代を経てジワジワとその影響を根付かせていった(いくであろう)女性アーティストにフォーカスした新連載がスタート! 第1回は80年代に異質な存在感を見せていた3人組、クララ・サーカス
先日、ある雑誌で〈ガールズ・バンドの歴史〉的な記事を頼まれたために改めて調べていたのですが、日本で女の子だけのバンドがチラホラと出てきたのは主に70年代後半のパンク時代以降のことです。いまでこそ本当に多くのユニークな女の子バンドが活動していますが、30年ほど前までは、一部の独立したソロ・シンガーやアイドルを除けば、女性はまだまだ〈色付け〉的な存在でした。
〈となると、やっぱりSHOW-YAとかプリプリが最初ですよね〉と、その記事を担当してくれた年若の編集者。軽く頷きつつも、いや、ちょっと待ってくださいと。もちろんいち早く商業的な成功を勝ち取ったのは彼女たちでしょう。
でも、もしかするといまのシーンに濃厚な影響を与えたのはアーント・サリー(厳密にはメンバーの全員が女性ではありませんでしたが)とか少年ナイフかもしれません。だって、住所不定無職とか赤い公園とか虚弱。といった現在注目を集める多くのガールズ・バンドのなかに見えるのは、知性と野性を静かに同居させていたPhewやビッケを擁するアーント・サリー、ポップ・パンクというスタイルでニルヴァーナまでを虜にした少年ナイフといった、デビュー当時はほとんど知られていなかった面々の遺伝子。いまなお現役で活動するヴェテランの彼女たちと、平成に入ってから生まれたような若い世代たちとが時を経て繋がっているように実感することは少なくありません。
そこで、今月から始まりましたこの〈ガール・ポップ今昔裏街道〉では、即効性はなかったかもしれないけど時間をかけて時代を変えてきた、そしてこれから時代を変えていってくれるだろう新旧さまざまな女性アーティストたちの作品を毎回紹介していきたいと思っています。さて第1回目は、約25年~30年前、インディー・シーンにビート・パンクのブームが訪れていた時代、我関せずとばかりに〈大正ロマン風ポップス〉を奏でていたクララ・サーカスです。
クララ・サーカスはヴォーカルのユミル、ヴァイオリンのミンコ、キーボードのトモコの3人組で84年に結成。戦前ヨーロッパのモダニズムと日本情緒とを合わせたような美学をモットーに、くすんだ音色で郷愁を誘うヴァイオリンとリリカルなリフを鳴らす鍵盤、詩を朗読するようなヴォーカルとを合わせて歌の世界をくゆらせていく彼女たちのステージは、シアトリカルな雰囲気も手伝い、ライヴというよりもさながら演奏会といったところでした。特に代表曲“エンゼル・オーファン”は、オスカー・ワイルドの「幸福の王子」を初めて読んだ時のような切なくも豊かな気持ちになるメルヘン・ポップスの逸品。ベレー帽に襟の大きなふんわりワンピース……といったガーリーないでたちの3人は、ワイルドやサリンジャーの文庫本を常にバッグに忍ばせていた当時の〈オリーブ少女〉の繊細な心の風景と共振したところがあったかもしれません。
残念ながらシングルがナゴム・レコードからリリースされたりオムニバスに参加したことはあっても、単独アルバムを発表するまで至らずに解散。ユミルこと西岡由美子はいまも現役アーティストとして活動中ですが、当時のクララ・サーカスはわずか6年ほどでそのキャリアに幕を降ろしたのです。奇しくもバンド・ブームが商業主義に絡め取られていくようになった頃、時代の変貌と共に激動の長き昭和にバトンを渡した短い大正時代が去った時のように、彼女たちはそっとシーンから姿を消しました。
そんなクララ・サーカス活動時のステージ音源を集めた『Klara Circus LIVE 1985-1991』が先頃リリースされています。いまのスキルたっぷりな若い女子バンド勢と比べてしまえば、とても拙い演奏ですが、ゆらゆら帝国などでお馴染みの中村宗一郎のマスタリングによって音に生々しい起伏が付けられています。現在、ここまでセピア・カラーな大正ロマン・ポップを奏でるアーティストは、サウンド面での影響としては見当たりません。ですが、アパレル・ブランド〈mina perhonen〉のイメージ・キャラクターも務めた二階堂和美や、みずからフルートも吹くmmmといったガーリーでウィットに富んだシンガー・ソングライターたちの根っこにそっと息づいているような気がするのです。