ノルウェーの新レーベルが見すえる未知の感覚
ハルモニウムのソロ演奏が31.4分にわたって展開するシグビョルン・アーペランドの『Glossolalia』をアーペランドと同じノルウェーのジャズ ピアニスト、クリスティアン・ヴァルムルーが薦めてくれたとき、彼はたしか「音のジェスチャー(ふるまい)」について語っていたのだった。音色と音色、音 程と音程が、干渉しあい、融けあう。音が固有のゆらぎを見せながら新しい姿を見せる。そうしたふるまいの探究こそが、たしかにに両者に共通する興味ではある。
アーペランドの紡ぎ出す音色はオルガンに聴こえたかと思うと、電子音やヴォコーダーやシンセのように聴こえたりする。牧歌的な懐かしい響きと、エレクトロ ニカやポストロック以降の今日的なサウンドスケープが、超アナログな楽器の上で交錯する。ぼくらは一体この作品の何を聴いているのかと考えて「音素」とい う言葉に思いいたる。言語学における意味にはこの際こだわらない。音楽を構成する最小単位をそう呼んだとして、それは一体どういうものなのか。本作をリ リースするノルウェーの新興レーベル「Hubro」のカタログの多くは、そんな問いを僕らに投げかける。
アーペランドが参加するPintura、ノルウェー屈指の辣腕ベーシストのマッツ・エイラートセン、アブストラクト・ドローン・アメリカーナの形容で知ら れるHuntsville、つい最近新作をリリースしたばかりの即興トリオCakewalk等々。Hubroのアーティストをジャズ、ロック、エレクトロ ニカといった従来の区分に従って語ることはもはやできない。そんな雑駁な分類では解析しきれないファンダメンタルでエレメンタリーななにかを彼らはとらえ ようとする。
リズムではない。メロディでもない。音色でもない。それらを構成する最小単位、基本粒子として「音素」への興味。それがHubroのひとつの核となっている。音の素粒子物理学というものがあるのなら、Hubroはその実験室なのではないだろうか。