©Foumio Takashima
ワーグナーとシューマンの森からマーラーへ
~《嘆きの歌》における〈偽り〉と〈破滅〉のビジョン
マーラーに興味を持つ人にとって、《嘆きの歌》という作品は、いつかは出会わなければいけない里程標のようなものではないだろうか?
《嘆きの歌》が日本の聴衆の前に、最初に鮮烈な形で上演されたのは、私の記憶では、ジュゼッペ・シノーポリが1990年にフィルハーモニア管と東京芸術劇場で行ったマーラーの交響曲全曲演奏会のときでないかと思う。22年前のことだが、個人的にはかなりショッキングな体験であった。あのときの響きは、まだ遠く耳に残っている。
思えば、奇怪な作品である。
独唱、混声合唱、およびオーケストラからなる3部構成のカンタータだが、マーラー自身が台本を書いたオペラのようでもある。のちの作風の展開からすれば、交響曲とみなせないこともない。
いわば、歌曲とカンタータと、オペラと交響曲が、未分化の形でないまぜになったような作品なのである。その気になればオペラとしての舞台上演も可能だろう。
《嘆きの歌》を、マーラーが交響曲作家となる前の、ピアノ四重奏曲と同様、習作ととらえる向きもあるが、事態はそう簡単ではない。初稿は1880年、すなわち20歳のときのものであるが、初演は改訂版の形で1901年、40歳のとき、交響曲でいうなら《復活》と《第3》の間に位置する時期に行われている。
つまり、20年以上にもわたってマーラーがこだわり続けた作品ということになる。
物語は、さる王女が、森の奥に咲く赤い花を探してきた勇敢な者と結婚するとお触れを出し、ある兄弟のうちの弟がそれを見つける。嫉妬にかられた兄は弟を殺す。弟の白骨を森の奥で見つけた吟遊詩人が、その骨でフルートを彫り、兄と王女の祝宴でそのフルートを吹き、殺人の真実が音楽によって明らかになる――というものだ。
この物語を、音楽とともに味わうことで、聴き手はいくつかの驚愕すべき発見をすることになる。
第一に、《嘆きの歌》における森の存在は、明らかにワーグナーのオペラにおける森と通じるものがあるということ。特にジークフリートの響きが感じられる。
第二に、この森はシューマンの森でもあるということ。森の奥の赤い花と死体の存在という不吉なビジョンは、シューマンの《森の情景》において既に示されている。
第三に、華やかな祝宴の音楽が、〈偽り〉のものとして扱われているということ。こうしたオペラ的な扱いは、のちのマーラーの交響曲における凱歌の音楽を考える上でも、知っておいて損のない用法ではなかろうか。
第四に、弟殺しという兄の罪が告発されることによって――すなわち真実が示されることによって――ひとつの美しい世界が崩壊するというビジョンが示されているということ。マーラーの音楽における破滅がいかにして訪れるか、その原型をここにみてとることができよう。しかも全曲の最後が、イ短調の突き刺すような強奏で締めくくられていることは注目に値する。これは《第6》の終わりを想起させずにはおかない。
第五に、《嘆きの歌》には、痛ましい死を遂げた無実の者に対するシンパシーが、強く示されているということ。こうした傾向は、マーラーが世界全体をどのようにみていたか、ひとつの示唆となるかもしれない。