衝撃のリアリティ
「堪え難いほど不快であり…私にはほとんど拷問のように感じられた」──作曲家の諸井誠は、ジョン・ケージ初来日のコンサートの感想をこう述べた。そしてこう続ける——「また、一柳夫妻に捧げられた新作《0'00"》は、無意味さと退屈さにおいて抜群であった」。ケージ初来日の際の人々のさまざまな反応を収めた『輝け60年代』(フィルムアート社)は、この文章を含め、「教祖」が日本にもたらした波紋の大きさを的確に伝えている。そしてその波紋は音楽評論家、吉田秀和の「ジョン・ケージ・ショック」という言葉によって、増幅されていくことになった。
ケージ生誕100周年の今年、初来日のコンサートの一部を『ジョン・ケージ・ショック』という3枚のCDで聴くことができるようになった。ケージとピアニストのデイヴィッド・テューダーは各地で数回のコンサートを行なったが、ここにはそのなかから選ばれた8曲が入っている。諸井が「堪え難いほど不快」と評したのは《ヴァリエーションズⅡ》の演奏で、たしかに「数個の巨大なスピーカーが発する、アンプの能力の限界をこえた、歪んだ音の連続」がそこからは聞こえてくる。ノイズを聴き慣れた現在の耳にとっても、これはかなり強烈だ。ましてや60年代であってみれば、こうした反応が出てくるのも無理はない。
そして「無意味さと退屈さ」による《0'00"》を聴くと、ときどき聴衆から笑い声がもれてきて、けっして退屈さがずっと続いたわけではないことも分かる。この「4分33秒第2番」はこの初来日の際に「作曲」された記念すべき作品である。写真やいくつかの報告によれば、ケージ自身が椅子に座り、眼鏡に手をやったり、煙草を吸ったり、ペンで紙に字を書いたりするパフォーマンスを行なったようだが、そうした行為が増幅された音としてリアルに伝わってきて面白い。《26分55.988秒》とされているのは、じつは《アリア》と《ピアノとオーケストラのためのコンサート》のピアノ・ソロのパートと《フォンタナ・ミックス》を同時演奏したものである*。オノ・ヨーコが変幻自在な声で歌ったり、語ったり、つぶやいたり、絶叫したりするのは聞きどころ。
諸井は後に書き加えた「追記」でケージにたいする考え方が「好意的」なものへと変わってきたとし、「拷問から快感が生まれ始めている」と述べる。初来日から50年がたち、ケージへの見方も当時とはずいぶん変わってきた。この3枚のCDは当初の衝撃がどれほどのものであったかを立証するリアリティに満ちている。
*コンサートの曲目変更がこれまできちんと伝えられてこなかったため、録音内容と曲目の表記に混乱が生じたと思われる。