それぞれの土地から、エキゾチックな世界 へ弾けていくような音楽たち
あまりにストレートなタイトルに躊躇しつつも聞き覚えの有る歌声。誰かと思えばアラゲホンジではないか。民謡ともポップスとも言いがたい彼らのグルーヴを配した事で、言いたい事がすっと入って来た。音楽は人間の社会や感覚に起きることを予言する。
これは以前細野晴臣さんが指摘していた事だが、面白い民謡を眺めているとその音が「辺境」からやって来ていることが多いことに気付く。
アラゲホンジからはじまる「旅」は馬喰町バンドから岐阜県可児地方のわらべうた、阿波おどり、青ヶ島の民謡、「越中おわら節」が配置された富山在住のDENPUNのトラック、JUZU a.k.a. MOOCHY による奄美の島唄"ヨイスラ節" 、韓国の伝統楽器も含む編成のTURTLE ISLANDを率いる永山愛樹、新曲は震災直後に福島のフェスで演奏された二羽高次×ヨシダダイキチ の「会津磐梯山」とアラゲホンジによる「外山節」。その射程はOKIのアイヌ音楽まで及び、KOYOによる八重山民謡で旅は終わる。どの曲も地方の生活や体験から生まれているのがミソだと思う。
民謡というドメスティックな題材を冠しながら、伝わって来るイメージは海の向こうの濃厚な甘い果実のような、人間本来の生きるエネルギーにあふれた魂の弾けるような音たち。「民謡」という枠組みは明治以降近代の流れの中で作られている。民謡の枠組みを外し、ひとつの純粋な音楽として眺めてみると、日本の土に埋め込まれているように見えるその音楽が、極めてローカルな入り口から入って海の向こうに広がるエキゾチックな世界に抜けて行く、そういう回路を持っている事に気付く。この音楽たちはそれを見事に証明している。
のっぺりと都市化したように見える日本列島のどこでも大都市とさして変わらぬ生活をしながら、それでも平準化しきれない土地土地の何か。それが音楽を通し、鮮やかな輝きを放って地上に姿を現しつつある。こうして見ると、これらが何故「辺境」からやってくるのかが見えて来る。