「母さん、僕が怖い?」──残酷なまでの美しさを持つ、新星エズラ・ミラーの圧倒的な存在感!
このネタバレ同然な邦題に加え、ポスターには日本の男性アイドル激似の美少年。まるでこれは萩尾望都の漫画ではないか? と言う印象は、実はある程度当たっていたりする。少年の美しさ(勿論、上半身裸!少年があんな行為まで!とかもあります)は堪能できるし、描写の執拗さは本家を超えている(別に参照していないのだけど)。ただ、美少年にのみ浮かれることを除けば、この作品は生半可な覚悟では見ないほうがいい。執拗なまでの世界の主人公への嫌がらせの数々に疲弊するだろうから。ただし、覚悟し見届けたものだけが辿りつく感動があると先に断っておく。なるほど、普通の映画ではないのは確かである。
玄関や車は真っ赤なペンキを塗りたくられる。いきなり近所のおばさんに平手打ちを食らう。スーパーマーケットで目を放した隙にカートの中の玉子パックがグチョグチョにされている。といった日常をアルコールと睡眠薬漬けでただ耐えて生きている悲惨な〈現在〉の主人公エヴァ。その〈現在〉とカットバックされる形で描かれるのがエヴァと息子ケヴィンとの〈過去〉である。〈過去〉で、エヴァへの嫌がらせをするのは、息子ケヴィン。それは、まるで〈悪魔の赤ちゃん〉による母いじめなのだ。最初は、悪意でウンチを漏らしているくらいのものなのだが、成長するにつれ聴覚障害かと勘違いさせるほどの母親無視から、遂には妹にまでターゲットを向けるエスカレートぶりに、観客はケヴィンという〈悪の権化〉が次に何をやらかすのか?という〈サスペンス〉でもって見守ることとなる。孤立無援なエヴァを尻目に最悪の状況を想定し、それが現実になる様の繰り返し。悪意の無限ループは、〈現在〉の周囲のエヴァへの嫌がらせの原因でもある出来事、邦題が示唆する〈過去〉の事件にあることが判明するだろう。
始終つきまとうのは、エヴァの、そして私たち観客の抱くケヴィンへの〈何故?〉である。ケヴィンは母を憎んでいたのか? 独占欲が強く愛していたからなのか? いや、この映画そのものが、エヴァの主観で語られているから誇張されているのではないか? この〈何故?〉は、映画のクライマックスで、エヴァがケヴィンに問う。その結末は、実際にご覧いただきたいと思うが、〈何故?〉という問いの裏側で見てきたもの聞いてきたものが結実する、ある感情のうねりに、私たち観客が驚くことだけは間違いない。
原作は、英国女性文学最高峰のオレンジ賞に輝くライオネル・シュライバーの長編小説。監督は、『モーヴァン』から実に9年ぶりとなるリン・ラムジー。曖昧な感情を描き出す手腕の見事さ。何より、彼女がこの題材で何を描き何を描かなかったかを見ていただきたい。加えて音楽にはレディオヘッドのジョニー・グリーンウッド。役者陣では、エヴァ役のティルダ・スウィントンの中性的な魅力と、ケヴィン役のエズラ・ミラーの悪魔のような美しさの持つ説得力! 全てがバランスよく充実しきった作品。必見!