音楽の世界ではYMO、アイドルの世界ではたのきんトリオや松田聖子といったニューウェイヴによって切り拓かれた80年代。まさにその〈元年〉となる昭和55年に空前のブームとなっていたのが……漫才でした。音楽同様、お笑いの世界においてもニューウェイヴが台頭。(当時の)現代っ子にウケる振る舞い、スピード、毒気、無作法さなどを持った新進の芸人が次々と躍進し、活躍の場がそれまでの演芸場や寄席からTVへと変わっていった〈その時〉、トップスターとしてブームの頂点に立ったのが、アイビー・ルックに身を包んだザ・ぼんちだったのです。
73年に結成されたザ・ぼんち——おさむ(現在は俳優としても活躍するぼんちおさむ)、まさと(関西を中心にタレント活動をしている里見まさと)—— の魅力は、ユーモラスで人懐っこいキャラクター、そして関西圏以外の視聴者にも取っ付きやすい〈しゃべくり〉。同時期に人気を博した〈ツッパリ漫才〉の紳助・竜介、〈毒舌〉のツービートなどに比べて年配者や父兄からのウケも良く、子供たちもこぞってギャグを真似るなど幅広い年齢層から支持されました。
81年の元日には、持ちギャグをふんだんに盛り込んだシングル 恋のぼんちシート をリリース。この年にビブラトーンズを結成する近田春夫が作詞/作曲を、ニューウェイヴの旗手として注目されていたムーンライダーズの鈴木慶一がプロデュースを手掛けたということからも、当時の漫才師がいかにトレンドセッターであったかが窺えますが、オールディーズ・リヴァイヴァルのムードに乗ったこの曲は(おさむはジェリー・リー・ルイスの大ファンだった)、オリコン最高位2位、総売上80万枚を越える大ヒット。漫才師のレコードがここまでのヒットを記録した例は過去になく、漫才ブームを牽引していたB&B、ツービートらもレコード・デビューを果たしましたが、これほどの結果は残していません。続いて発表した2枚目のシングル ラヂオ〜ニューミュージックに耳を塞いで〜 (作家陣は前作と同じ)のセールスは振るわなかったものの、その後芸人として初の日本武道館単独公演を成功させ、ザ・ぼんちの人気は最高潮に達したのです。
音楽やファッションなど、常にトレンドを巻き込んでいた彼らの活躍——漫才コンビが〈一本のマイクを挟んでしゃべくる〉以外の方法でカッティングエッジなセンスを発揮したことは、〈お笑い〉の懐を広げることに繋がりました。ダウンタウン絡みのGEISHA GIRLSやH Jungle with t(前者は坂本龍一、後者は小室哲哉プロデュース)など、後輩芸人たちが音楽を通じてトレンドと抱き合い、ヒットを飛ばすことになったのも、ザ・ぼんちの成功なくしてはあり得なかったかもしれません。
ザ・ぼんちとその時々
ザ・ぼんち 『THE BONCHI CLUB』 フォーライフ/UKERU MIRAI/OCTAVE(1981)
テクノ・ポップにムード歌謡、ロックンロールにエキゾチカ——鈴木慶一が全面プロデュースを手掛け、演奏もムーンライダーズ。カヴァー画は「ビッグコミック」でお馴染みの日暮修一と、ナウい感覚をふんだんに盛り込んだアルバムが待望の初CD化。ミュージシャン魂と芸人根性が洒脱に交じり合う、実に愉快な作品なんですよ、川崎さん!
ビートたけし 『おれに歌わせろ』 ビクター(1982)
遠藤賢司作のファースト・シングル“俺は絶対テクニシャン”こそ“恋のぼんちシート”と狙いどころがカブりますが、大沢誉志幸が書いた2枚目“BIGな気分で唄わせろ”以降のたけちゃんときたら……! いたいけな歌い手っぷりは、いわゆる本格派の歌手には出せぬ味です! ゴックン!
明石家さんま 『明石家さんま ベスト・コレクション』 ポニーキャニオン
“アミダばばあの唄”の桑田佳祐をはじめ、松山千春、飛鳥涼、高見沢俊彦など錚々たる作家陣にバックアップされていた歌手・さんちゃん。なのに、芸人としてのチャームが抜けきらないのは、やはりその歌唱力……。本人的にはイケてると思ってるのもニクイ。
とんねるず 『ゴールデン☆ベスト とんねるず』 ビクター
漫才ブーム以降の世代で〈二刀流〉と言えば、この方たち。ヒット曲は数あれど、セールス的にはそれほどでもなかった“一気!”“青年の主張”などパンク/ニューウェイヴ感が漂う初期楽曲に愛しさを感じる。この頃のサウンド・プロデュースは、元・一風堂の見岳章でした。