アニメでありながらの映画的演出に驚愕!
確かに成長した雨と雪が自分の進むべき道を見つけてゆく後半の展開は素晴らしいのは分かっているのだが、それほど心は動かされなかった。むしろ画面から目が離せなかったのは、母になる前の花の青春恋愛物語としての描写の、見事な映画的テクニックのほうだった。映画はいつの頃からか、最終的にテレビ画面に再生されることを前提として製作されるようになり、いわゆる『引きの画面』をうまく使う演出をしなくなってしまった。そこに映し出される場面は、当然スクリーンより小さいテレビ画面でも迫力ある画像になることを優先し、『寄りの画面』を多用し、映画が本来持つダイナミックなロングショットが消えてしまったのだ。ところが、花とおおかみおとこが初めて大学の校門で言葉を交わすシーンのロングショットを見て、アニメでありながらの映画的演出に驚愕したのだった。そう、このアニメが『映画』として見応えがあるのは、こうした風景の中の人物配置がリアルに出来ているからなのである。
前半の展開に惹かれるもう一つの理由は、おおかみおとこの死とその謎(名前を明かさないのも含めて)である。確かに全体は〈母子〉の物語であろう。しかし視点を変えれば、この映画はニホンオオカミの最後の生き残りである彼の、実は必死に種を残そうとする物語なのである。冒頭のナレーションで、『これは母の話』ですと言われて、その観点で見てしまうが、二重構造の仕掛けで『父の話』でもあるのだ。もちろん愛情もあったであろうが、動物社会の本能は種の継続が優先される。いささか唐突に描かれる彼の死は、本当は役目を終えたオスの最後だったのかもしれない。そう考えると、それまで臆病だった雨が最後には本能に目覚め、立派に独り立ちして去って行くラストと見事に継るのではないか!
前半の19歳である花の可愛らしい表情と、後半の重要人物である韮崎の老人の顔立ちは、声を担当する宮崎あおいと菅原文太(実際に農業に従事している)をイメージしての当て書きとしか思えない。脚本ではよくある当て書き、アニメでやるとは! 本当に細田守監督は面白い!