鮮烈なマダムのデビュー作、と共に……
コフレがおしゃれである。リュック+ブリュンヒルド・フェラーリ夫妻の《プログラム・コマン(共同プログラム)》なのだ、まさに。表紙はあずき色の(若い)2人の写真。そして2枚組のジャケット、うぐいす色はリュックの作品。そしてあずき色はブリュンヒルドのデビュー・アルバムとなる。グレーの解説表紙は2人の名前の組み合わせでできている。今回のアルバムは、実はサブ・ローザのフェラーリ作品シリーズの4作目であり、ついに、これまで陰の立役者だったマダム・フェラーリ、ブリュンヒルド自身の作品が収められることになった。
《共同プログラム》とは、増幅されたチェンバロとテープのためにリュックが1972年に書いた作品だ。当時、共産党と社会党の左翼大同団結のための「共同プログラム」が採択され、それがその後の社会党政権成立に至る布石だったのだが、それにひっかけてフェラーリはチェンバロとテープの「共同プログラム」を書いたわけだ。ここにはさまざまな疑問が渦巻いている。音楽と社会は関係あるのか、作品とタイトルは関係があるのか、新しい社会のために音楽家はどのように働いたらよいのか、などなど。作品は非常にミニマルなもので(次の《ディダスカリー2》もそうだ)、当時のヨーロッパでこのような音楽を書いていた作曲家は他にいないだろう。3曲目の《ヴィーナスの感激》もまたロックと電子音響とラジオドラマをまぜこぜにした「共同」的なもの。ユニークとしか言いようがない。
そしてマダムである。2005年、リュックの亡くなった時に未完で終わっていた《デリヴァティフ》(「派生物=気晴らし」の意で、過去の録音素材をある一定の規則に則って再構成)を数年後に、その遺志を継いで完成させる。その後、同様にリュックの素材と自らの素材を用いて《目覚めの霧》、《静かなる焦燥》を作るが、特に後者はミニマルな外観の影に複雑なリズムが交錯する傑作である。まさに、鮮烈なデビュー作と言ってよい。