秘めたる執念と魂の熱演……45年を経て、真のマリアがついに微笑む
初演から45年の時を経て、完全な、真の〈再生〉の姿を現出させたブエノスアイレスのマリア……。当初の上演日は、2011年3月19日。ピアソラ生誕90年の節目に、タケミツの名を冠するコンサートホールで行われるのも、どこか因縁めいていた。なぜなら、1982年のピアソラ初来日に期待の声を寄せてくれた理解者は、評論家黒田恭一氏と、武満徹氏以外にいなかったのだから。
いざ本番を控えリハが重ねられていた頃、東日本大震災が襲いかかる(あの日がピアソラの誕生日だったとは!)。原発事故の恐怖から予定キャスト2名が無断帰国。留まったレオナルド・グラナドスの二役兼任、代役女性歌手を立て、辛くも道が残される。が、主催者側より公演中止の報。
幾多の障壁と不可抗力を乗り越えて仕切り直し、本公演を実現させた、小松亮太の恐るべき執念と、何物かに取り憑かれたかのような鬼気迫る総員のパフォーマンスに、最大限の賛辞を贈りたい。
しばしばラテンアメリカ文学の怪しい魅力を「魔術的リアリズム」などと手荒な言葉で説くが、ピアソラ=フェレールの描き出す世界こそ、その称号にふさわしいのではないか。時空を彷徨うマリアと影、語り手の小悪魔、夢見る雀と称す若者、人格を与えられたバンドネオン等々、目に見えぬ無数のキャラクターが乱舞し、スラングを随所に交えつつ、都市の暗部に生と死が投影される。まさしく現実味を帯びながら魔術的! 舞台の字幕を読んでいても、さっぱり謎は解けない……。
唯一思い至ったのは、1968年の初演当時、カトリック的価値観が染みついた南米の大都市では、相当スキャンダラスな内容だったはず、ということだった。一般受けせず、商業的成功とはほど遠かった原因の一端が窺えよう。なにも反骨精神を示す手段は、激烈メッセージや大音量ノイズだけとは限らないのだ。
ぴんと張りつめた糸のように精緻で劇的、原作への敬意を強靭な魂で体現してみせた、小松亮太率いる面々の演奏力は、感服に価する。グラナドスとギジェルモ・フェルナンデスの朗々たる美声と包容力が背景を豊かにし……むろん圧巻はオリジナル・キャスト、アメリータ・バルタールの有無をも言わせぬ存在感だった! ただ歌が巧い歌手ではマリア役はつとまらない、と自負するピアソラ舞台の申し子(ピアソラの創造力をもっとも掻き立てた女性らしい)が、場の空気を支配した。奇しくも本公演のオファーを受けたのは、彼女の芸歴50年記念CDが完成した日だったという。
写真:アメリータ・バルタール、小松亮太
photo: 西田航