静寂から躍動へ
さよなら、は甘美でなく、胸を引き裂く悲しみでもなく、しかしこれほどに心を熱く埋めるのだ。驚異のダンサー、シルヴィ・ギエムが踊る22分のソロ《アジュー(BYE)》(エック振付)は、これだけの時間のなかに人生の遥かな地平を重ね折り込んでみせるような傑作だ。──舞台に、柔らかいモノクロ映像を投影するスクリーンがひとつ。静かに響き始めるピアノと共に、映像と同期しながらスクリーンから舞台へ入り込んできた彼女は、いつもの凛と冴えた踊りとは違い、もっさりした衣裳で少し背を丸めた中年女性の風情。しかしそこからが凄い。この女性が自身との葛藤にも似た対話を通して人生の新たな扉をあけてゆくさま、全身で表現される感情の変容に圧倒される。ベートーヴェン最後のピアノ・ソナタ第32番(演奏はポゴレリッチの名盤)から《アリエッタ》──静穏から躍動へ、昂揚から柔和な深遠へと融けてゆく変奏曲を、踊る。生をつかみ、しなやかに推し拡げるように踊るギエムと、スクリーン内の彼女とが巧みに呼応しながら、やがて彼女は映像の中に現れた老若男女たちの中へ入り込み、歩き去る‥‥。いわゆるバレエらしい美しさとは対極にある(一見がさつな)型や動きも、生の脈動に染みこんだ経験と感情を余さず表現するかのように美しい。スウェーデンの鬼才振付家マッツ・エックは古典バレエを過激に読み替えた諸作をはじめギエムの映像作品『エヴィダンシア』(1995年)にも《スモーク》を振り付けたひと。近作《Place》では還暦を越えた名ダンサー・バリシニコフらに振り付けて見事な表現の可能性を拓いた。輝かしいキャリアも孤高の頂点に達したギエムのためのこの新作にも、身体の限界の先に広がる表現の明日をつかみとり抱きしめるような厳しさと愛が素晴らしい。震災直後に敢然と来日したギエムが日本初演、感涙に滲んだ舞台も忘れがたいが、エック本人がカメラワークまで綿密に計算した映像化は繰り返し嘆賞するに相応しい。