ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返るコラム。今回は、延期の果てにようやくリリースされたM.I.A.のニュー・アルバム『Matangi』について。そこには、立てた中指を引っ込めず、淡々と自分の素直な気持ちだけを吐き出す彼女がいて――。
M.I.A.の4作目『Matangi』、ポップな“Jimmy”のような曲も、クラッシュをサンプリングしてアメリカで売れたことから〈ああ、アメリカ人はこういうヒップホップを欲しているんだろうな〉と思わせてくれた“Paper Planes”も、問題作“Born Free”のような曲も入っていない。
しかし、いいアルバムなのである。何回も聴ける不思議なアルバムだ。呪術のようにすっと頭の中に入ってくる。英語なので何を歌っているのか一切わからないんだけど、ずっと聴いてしまう。これはM.I.A.の正直な告白なんだろうなと聴き取れるから気持ちいいんだと思う。
いままでのM.I.A.は問題提起ばかりしてきた。そして、それをセールスに繋げてきた。植民地の子供たちが支配者の国でどういう生活をしているか歌ったクラッシュの名曲“Straight To Hell”をサンプリングした“Paper Planes”はその子たちが大きくなった姿を歌っている。そこでは〈私がやりたいことは、バーン、バーン(ピストルの音)〉〈あなたのお金を奪いたい〉と歌われる。僕はそれを〈マイノリティーは差別されているから、ピストルで強盗をしてもいいんだ〉という衝撃のメッセージと受け取った。そして、その曲はギャングスタ・ラップが受け入れられたように、普通に何の違和感もなく新しいヒップホップとして一般大衆に受け入れられたのだろう。
しかし、そのメッセージを前進させようとした“Born Free”は、色が白く赤毛というだけで、理由もわからず連れ去られ、軍隊に殺されていく若者たちを描いたロメイン・ガヴラス監督のPVが賛否両論を呼んだ。映像はそれほど暴力的に思えなかったのにYouTubeでは排除されたことからも、ある種の人たちには嫌悪感を抱かれたことがわかる。もしあのPVが白人アーティストのものだったなら、「バトル・ロワイヤル」や「ハンガー・ゲーム」みたいなものね、と受け流されていたかもしれない。スーパーボウルでの中指事件もそうだ。もしあれが白人のラッパーだったら、あそこまでの問題になっただろうか。
M.I.A.は“Born Free”のPVが問題になった時、この意味深なPVの意味は〈スリランカ軍の兵士によるタミル人男性の非合法的殺害の事件からきている〉と説明したが、PV自体には悲劇を訴えるようなお涙頂戴のメッセージはなく、何か復讐をしているかのようなメッセージを僕は感じた。それは当時問題になっていたアリゾナの州法〈新移民法〉可決への抗議なのかなとたくさんの人が思っただろう。その法案は、現地の警察官に不法移民取締の権限を与え、不法移民を摘発しようという目的であった。ところが、その法案の中には〈外見だけで不法移民であると警察官が疑いを持てば、滞在資格の確認を行うことができる〉と解釈できる内容が盛り込まれていたため、特定人種を対象とした差別的捜査に繋がる可能性があると非難されたのである。
“Born Free”のPVは、〈あんたたちがやっていることよ〉と投げかけているかのようだった。そして、〈それを逆にやられたら、あんたはどういう気がする?〉と突き付けているかのようだった。“Born Free”のあの過剰な反応はマイノリティーからのストレートな意見に対する拒絶反応の表れだったと思うのだ。
『Matangi』を出すにあたり、M.I.A.はレコード会社と揉めたという話を聞く。レコード会社としては“Paper Planes”も“Born Free”のような曲を入れろということだったんだと思う。M.I.A.の気持ちは〈あんたら私がそういうショッキングな曲を作って、問題を起こしても守ってくれないでしょ、何もしないでしょう〉という気持ちだったんだと思う。
レコード会社に作品を返されたM.I.A.はイントロやアウトロを足しただけで、送り返したらしい。
M.I.Aはとっても冷静だ。彼女は出した中指を引っ込めず、淡々と自分の素直な気持ちだけを吐き出した日記のようなこのアルバムをリリースした。正解だと思う。『Matangi』を魔術のようにエンドレスに聴いてしまうのは、これはM.I.A.のブルース・アルバムだからだろうなと僕は思う。
とにかく、いまは休戦中ということなのだろう。
※一部に読者の誤解を招くような表現や言い回しがあり、ご指摘を受けたため、2013年12月11日20:05に修正いたしました。