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第48回――岡村孝子

連載
その時 歴史は動いた
公開
2013/08/21   00:00
ソース
bounce 358号(2013年8月25日発行)
テキスト
文・ディスクガイド/出嶌孝次


岡村孝子_A



シティー・ポップやテクノ・ポップ、あるいはインディーズ・ブーム、松田聖子に始まるアイドル像の確立、そしてバンド・ブームなどなど、たとえリアルタイムで知らなくても、日本の音楽における〈80年代っぽさ〉というものは多くの人の間で曖昧に共有されているはずだ。そして、そうしたステレオタイプの積み重ねがそれをさらに限定された〈80年代っぽさ〉へとリモデルされ、いつしか最大公約数的な一部分のイメージしか後の世代には残らなくなるのかもしれない。しかし、単純に○○系とも括りづらいアーティストはいつもいるわけだし、時代性から切り離されたような境地で活動を続ける人もいる。例えば岡村孝子はその典型だろう。

62年生まれの岡村は愛知出身。進学した女子大で同級生の加藤晴子と出会い、デュオの〈あみん〉を結成している。82年5月、新人の登竜門と呼ばれた〈ヤマハポピュラーソングコンテスト〉に2度目の出場を果たした二人は、岡村自作の“待つわ”でグランプリを受賞。7月に処女作として発表された同曲は、最終的にはオリコン年間チャートで1位に輝く特大ヒットとなり、あみんはデビュー5か月で「紅白歌合戦」に出場するほどの人気者となる。TV番組「オールナイトフジ」などによって〈女子大生〉のデフォルメされた軽薄さが世に広まる直前、大人しいハーモニーを思慮深い装いに包んで現れた暗めの女子大生コンビは異色の存在感を放ったことだろう。が、デュオは83年末に活動休止(07年より活動再開)。岡村は85年にソロ・デビューを果たす。

後に代表曲となる“夢をあきらめないで”のリリースは87年だが、〈その時〉から現在に至るまで、彼女の歌世界は独自の道を超然と進んでいる。当初はほぼ失恋(後)の歌。〈もしあの時○○していれば〉〈本当は○○してほしかった〉といった繰り言は、ドラマティックな恋愛至上主義ではなく、冷めた表情で淡々と生活を送りながら心の内でひたすら燃える女性の姿を描いたものだ。よく考えると後に〈バブル〉と形容される時代の産物ながら、遅れてきたニューミュージックの大物のような岡村の佇まいは、そうした軽さとは無縁の耳を惹き付けたのかもしれない。つまり、後世からキャッチしやすい意味での時代性は希薄ながら、それでもやはり時代の空気にシンクロしていたのだろう。

そして、もともと彼女一流の言い回しで強がりを繰り返す失恋ソングだった 夢をあきらめないで が応援歌のように曲解されてタイムレスな一曲たりえたのも、まっすぐリリカルに響く不思議な歌声の包容力があってこそ。今回リイシューされた初期の5作品は、そんな岡村の根本的な魅力に溢れている。

 

岡村孝子のその時々



岡村孝子 『夢の樹』 ファンハウス/ソニー(1985)

あみん休止からおよそ2年のブランクで登場したソロ・デビュー・アルバム。童話的な内容と勘違いさせそうなジャケやタイトルだが、大まかな風景の描写と内面の移ろいを反芻しまくる作風はこの時点で完成されている。帯には〈内気な少年たちと、占い好きの少女たちへ〉の言葉が……。

 

岡村孝子 『私の中の微風』 ファンハウス/ソニー(1986)

CMソング用に歌った来生たかおのカヴァー“はぐれそうな天使”のシングル・ヒットも手伝ってか、短いスパンで編まれた2作目。前作よりも少し都会的になった意匠が冒頭から軽やかなステップを予感させるものの、もはや“待つわ”どころじゃなく“見送るわ”と歌う独特のクールさは変わらず。

 

岡村孝子 『liberté』 ファンハウス/ソニー(1987)

“夢をあきらめないで”を収めたヒット作で、シンクラヴィアを導入した音像が流石に『Bad』と同年リリースだけのことはあるというか、実に80年代的。〈あなたを失くしてまでも決めた道を/悔やむほど弱くなった私をしかって〉と歌う名曲“電車”の面倒臭そうな美しさは岡村節の真骨頂だ。

 

岡村孝子 『SOLEIL』 ファンハウス/ソニー(1988)

リミックス盤を挿んでのオリジナル4作目。ハイエナジー調の“TODAY”で軽快に幕を開け、楚々とした唱歌のようなヒット曲“Believe”などの佳曲が並ぶ。〈太陽〉を意味する表題でありつつ、そこから生まれる翳りに焦点を合わせたような感じか。本作から6作連続でオリコン首位を獲得していくことに。