15年目、集大成の決定版
衝撃のデビュー作『mariko』が発表されからもう15年。その間、スタジオ録音のオリジナル・アルバムは4枚リリースされ、ライヴ盤も数枚出ているが、この作品は、個人的にはデビュー作に並ぶ秀作だと思っている。宣伝文句にある“私音楽の追求”とは、売り上げや評価など気にせず、とことん、自分の聴きたい音楽だけを歌いきったという意味だろう。歌声のインティメイトさはこれまでもずっと一貫してきたが、今回は特に、言葉と音の行間に漂う余韻の深さが強烈で、ただならぬ“生身”感、裸の真理子が迫ってくる。これまでのキャリアの集大成にして決定版であり、ある意味、第二のデビュー作と言ってもいいのではないか。浜田のマネージメント事務所兼レーベル「美音堂」が東京に設立されて約10年。きっと本人にも、今一度原点に立ち戻って自分の歌を見つめ直してみたいという思いがあったのだろう。別の言い方をすれば、因幡修次の力を借りて作ったデビュー作の呪縛を完全に解き、乗り越えたかった、と。
といって、デビュー作のようなピアノの弾き語り作品ではない。これまでに深い関係を培ってきた優秀な音楽家たち(大友良英、水谷浩章、近藤達郎、外山明
など)が集まって、浜田の弾き語りを随所でサポートしているし、本人は歌だけに専念した曲もある。水谷が編曲したストリングスが女の深い情念の恐ろしさを際立たせている《ミシン》、歌と語りが自在に入り混じったシャンソン風の《花散らしの雨》、近藤達郎のメロトロンが賛美歌のような清澄さと素朴さを上手く演出した《啓示》。そして、浜田の原点とキャリアが象徴的に収斂、表現されたのが《ちょっとひとこと》か。民謡の朗唱を思わせる彼女の歌の周りで、大友のノイジーなギター、近藤の茫漠としたハーモニカ、水谷の寡黙にして慎重なベース、そして外山の精神分裂的ドラムが好き勝手に遊び回る。漁を終えたオヤジたちが焚き火の周りで酒を酌み交わしながら与太話をしている風景にも似ているが、そこにある浜田との信頼関係と一体感、歌の深さこそは、彼女が15年をかけて築き上げてきた世界だろう。いろいろあったし、ちょっと怖くもある、でも、美しい……。