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カラヤン、アバド、フルトヴェングラー、ニキシュ他(指揮)&ベルリン・フィル

公開
2013/08/30   20:20
ソース
intoxicate vol.105(2013年8月20日発行号)
テキスト
text:藤原聡

国内盤企画!『BPO × DG~世紀の名盤100』シリーズ

1913年11月10日、ベルリン・フィル(以下BPO)はドイツ・グラモフォン(以下DG)に初録音を行う(いわゆる「ラッパ吹き込み」というヤツ)。それはBPOの第2代目音楽監督、ニキシュによるベートーヴェン:「運命」であった。今年はその記念すべき年からちょうど100年目、これを記念してDGの膨大な音源の中から諸石幸生、浅里公三両氏が100タイトルのBPO名盤をチョイス、9月に30タイトル、10月に40タイトル、そして11月に30タイトルが発売される。正にDGならではのシリーズと言うべきだろう。

ここではディスクの各論ではなく、BPOをBPOたらしめる「楽員の自発性」について触れよう。筆者はカラヤン、アバド、ヤンソンス、ラトルとBPOの実演を聴いたが、BPOはやはり他のオケとは「違う」。何が違うのか。音が迫り来る感覚とうねりが常に違う。他のオケ、例えばやはりドイツ屈指の名門バイエルン放送響。個々人が、いわばそれぞれのパートの役割を全うし、オケ全体の調和を常に念頭に入れ、この両者が模範的なバランスで常に機能しているのが最大の美点。つまり円満。技術と音楽性も最高である。対してBPO。同じく技術と音楽性もトップなのだが、オケ全体の完成度、まとまりを優先するよりも個々人の「オレはこう考え、こう感じたのでこう弾く!」というモチベーションがしばしば最優先される。であるから、指揮者がその意図をオケに伝えきれないと各個人が勝手に弾き倒す野蛮演奏に陥る可能性すらある(事実そういう演奏を聴いております)。しかし、指揮者が個々人のモチベーションをうまく1つの音楽的方向性にまとめ上げることが出来た場合、各メンバーはやりたいことをやっていながら全体としてもキッチリまとまっているというある種の桃源郷状態が出来する。その際のBPOのみに成しうる圧倒的な迫力、表現力たるや…! 言うまでもなかろうが、こういう自発的奏者の集団に叩き上げたのはカラヤンの功績だろう。

勿論、BPOの上記特質はCDでもハッキリ分りますので、そういう観点(聴点?)から各名盤に接してみて下さい。11月には2年振りに来日ということもあり、改めてBPOをしゃぶり尽くすよいチャンスかと。