近年(といっても10年ほど前から)、彼女が見せたハイライト・シーンと言えば、歌謡曲からポップス、フォーク、演歌、そして女歌/男歌と広く採り上げてきたカヴァー・シリーズ〈歌姫〉ということになるでしょう。デビューから30年余りを経てもなお、歌でしか語れない、いや、あえて歌でしか語らない彼女——中森明菜の信念は、アイドルとしてデビューした〈その時〉からすでに定まっていたように思います。同時期にデビューしたアイドル歌手たちが歌以外の部分で個性を見い出しながらサヴァイヴしていくなか、中森明菜という輝かしい個性は、歌のなかにしか存在しなかったのです。
82年、シングル“スローモーション”でデビューし、続く“少女A”がTOP10入りしたことで人気歌手の仲間入りを果たした中森明菜。〈ポスト百恵〉という言葉がまだ囁かれていたその当時、“少女A”は山口百恵の“横須賀ストーリー”などにも通じるドロップアウト風情漂う楽曲でしたが、彼女は偉大なるスターの幻影に惑わされることなく、その後も次々と自身のポテンシャルを歌のなかで輝かせていきます。3枚目の“セカンド・ラブ”は、17歳とは思えない艶めきを放つバラードで、早くも初のチャート1位を獲得。デビュー2年目以降も、ソロ・デビュー前夜の大沢誉志幸が書き下ろした“1/2の神話”や“禁区”(細野晴臣作)、“北ウイング”(林哲司作)、“サザン・ウインド”(玉置浩二作)、“十戒(1984)”(高中正義作)、“飾りじゃないのよ涙は”(井上陽水作)など錚々たる作家陣の楽曲を自身の個性に落とし込み、ヒットを量産……と同時に、アルバムにおいても音楽人としての高いアビリティーを見せつけていきました。〈非歌謡曲〉の作家を積極的に起用したファースト・アルバム『プロローグ〈序幕〉』に始まり、85年の『BITTER AND SWEET』以降は常にコンセプチュアルな作風を提示。86年の『不思議』ではセルフ・プロデュースを手掛けるなど、歌に対するこだわりも作品ごとに深化。そのハイクォリティーな作品群は、ひと足先にスターダムを駆け上がった松田聖子と同様に洗練を極めたものでしたが、〈アイドル〉と呼ぶのが憚られるほど、演歌にも通じる侘び寂びや情念の滲んだ彼女の歌は、恋多き世代の女性ファンの心も掴んだのです。
秀でた歌唱力のみならず、時に激しく、時に切なく、時に優しく言葉を紡ぐそのフェミニンな魅力で、男女や世代を越えて幅広いリスナーを獲得した中森明菜。今回、彼女が80年代に残したアルバムがふたたび復刻されるのを機に、いくつかのアルバムを聴き返してみたのですが、この存在感はフォロワーの現れようもないな……と思った次第。
中森明菜のその時々
『プロローグ(序幕)』 ワーナー(1982)
後に代表曲と呼ばれるデビュー・シングル“スローモーション”も、当初のセールス自体はさほど……でしたが、ブレイク曲“少女A”の前に発表されたこちらの初作はTOP10入り。来生たかお、大野雄二、芳野藤丸など非歌謡曲作家を積極的に迎え、彼女のキャラ以上に歌唱力を引き立てた楽曲群は、すでにアイドルらしからぬ不敵さを湛えていた。
『BITTER AND SWEET』 ワーナー(1985)
デビューから3年。着実にトップスターとしてのステータスを上げていった明菜が、ネクスト・ステージの始まりを告げたアルバム。“飾りじゃないのよ涙は”の井上陽水をはじめ、EPO、飛鳥涼、角松敏生ら作家陣も豪華だが、今剛、青山純、井上鑑などいまなおその名を轟かせる名セッション・プレイヤーたちによる演奏が輪をかけて華やか。
『CRIMSON』 ワーナー(1986)
シングルで言えば“ジプシー・クイーン”“Fin”あたり。21歳とは思えぬ色香、艶めきの増したヴォーカル──この頃の明菜は最高潮だった。小林明子と竹内まりやが5曲ずつを書き下ろし、傍らで語りかけるように歌われていく本作では、同世代の女性からの共感を得た彼女。竹内も後にセルフ・カヴァーした“駅”は、何度聴いても鳥肌が立つ。
『CRUISE』 ワーナー(1989)
性的衝動を喚起させる色気と共に、鬼気迫る情念を歌のなかから湧き立たせていった明菜。シングル候補曲でありながらも未発表に終わったナンバー、そのなかからミディアム〜バラードを選って編まれた本作は、まさにその真骨頂を感じることができるアルバムだ。自身が恋の傷みで自殺未遂を図った直後に発表されただけに、切実さもひときわ……。