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渡邊琢磨コンサートクロスレヴュー 5/30@世田谷美術館 講堂

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公開
2014/06/23   18:18
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text:松本伊織(サウンド&レコーディング・マガジン編集部)

今年の年頭にリリースされた渡邊琢磨のソロ・アルバム『Ansiktet』は仮想オーケストラ作品であった。生楽器とソフトウェアの奏でる音が混然一体となり、その音像こそが作品を貫く奇譚の幻想性を強めていた。




©三田村亮



ところがこの5月末、世田谷美術館での彼のコンサートは、ずっとリアルなものだった。すり鉢を扇型に切ったような会場に、ピアノと椅子のみが置かれたノンPAセット。冒頭、弦カルテットとともに登場した渡邊は自身は演奏せずに、指揮に徹する。一つ一つのパートは一筆書きのようにシンプルであるけれど、その組み合わせが調和と緊張の狭間を行き交うよう。この行き来が、純クラシックのようでありながらも、渡邊の書く譜の個性だと感じる。しかし不思議な指揮だ。聴いている側としては6/8拍子に感じるのに、渡邊は3/4で振っていたりする。作曲者の意図はもちろん後者で、リズムについても何かダマされているような気になる。この第1部の最後でようやく渡邊はピアノの前に座り、弦4人とともに1曲演奏をした。

後半は、数曲で徳澤青弦(チェロ)とのデュオ、あるいは盟友・鈴木正人(コントラバス)を交えたトリオでの演奏もあったが、ほとんどは渡邊のソロ・ピアノであり、私が最も引きつけられたのもこのパートであった。淡々とシンプルなメロディを繰り返し紡ぐ渡邊だが、そこかしこに仕掛けがある。コード進行上ここで終わるのかというところで終わらない。逆にまだ続くと思わせるところで終わってしまう……そんな幻惑的な曲が何曲もあった。ふわっと着地するのかと思えば、ガツっと止まるし、ビタっと止まるように思わせてするっと次のコーラスに抜ける。そんな曲を流れに身を任せるように、ところどころ丁寧に、あるいはラフに淡々と渡邊は弾いていく。誤解を恐れずに言えば、ジャンルとしてはキース・ジャレットと同じところに置けるのかもしれない。見え隠れするクラシックの和声やジャズのノート使いの下地の上で、楽曲も演奏もはっきりとした渡邊の色で魅せていく。あるところでは、ガツンと鍵盤を力任せに押さえ、脱力するかのように曲が終わる。そう、渡邊の曲はいつだってこんな感じだ。もうちょっと聴いていたいと思うところで終わる。でもそこがいい。




©三田村亮



思えば、こんな生々しさの感じられるの渡邊の姿を見たことは(少なくとも音楽面では)あまり無かったように思う。既に次作の構想もあるようだが、このコンサートのフォーマットをそのままパッケージした作品をぜひ聴いてみたいと思った。終演後本人にその旨を伝えると「作品となるとついいろいろなことがしたくなる」と答えが返ってきたが、このコンサートを見た私は既に、彼の作家・演奏家としての姿が生々しく描かれるような作品を期待してしまっているのだ。