©photo Pascale montandon-Jodorowsky
©”LE SOLEIL FILMS” CHILE・”CAMERA ONE” FRANCE 2013
ホドロフスキー23年ぶりの新作!瑞々しくファンタスティックな名演出で物語る自伝的作品
1927年、ムッソリーニを崇拝するイバニェスが大統領の座につき、チリは独裁政権の時代に突入、この映画の舞台となる、どこかのんびりムードの港町トコピージャにもその影響が及ぶ。もっとも、これは実に23年ぶりとなるホドロフスキーの最新作にして彼の少年時代を扱う自伝的映画であって、そうした歴史が大胆な想像=創造力によって解釈=咀嚼されるのだが……。
ウクライナからの移民で商店を営む父親は熱烈な共産主義者で、右翼的な大統領への敵対心を剥き出しにするが、実のところマツチョ(男性中心主義)思想の塊である彼にとって独裁者は近親憎悪の対象にすぎない。一方、マッチョ思想の犠牲者である母親は、一人息子のアレハンドロを溺愛し、この映画での彼女のセリフや感情表現はすべて歌声として発せられる。もちろん当初は僕ら観客を戸惑わせずにおかない設定だが、これが次第にいかにも自然で、かつ魅力的に思えてくるあたりに、本作の魔術性が垣間見えるだろう。
1970年代初頭に2本のカルト映画『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』で生きた伝説と化したホドロフスキーだが、その作風は良くも悪くもパワフルかつ過剰なコッテリ感で特徴づけられるものだった。ところが、今回は印象がかなり異なる。本当らしさ(リアリズム)を超越するマジック・リアリズムの大原則は以前のままに、過剰さが簡素さへ、複雑さが単純さへ、そして熱帯的な湿度が温帯的な乾きへ……と。かつてのホドロフスキーの熱狂的な信者なら、こうした変貌に映画作家の老いや衰え、才能の枯渇を見出すかもしれない。しかし、彼の過剰な作風に幻惑されながらも時に辟易とされることもあった僕としては、諸手をあげて、この変貌をポジティヴなものと捉え、喝采を送りたい。そう、この映画は文句無しに面白い!
そんな本作の魅力を読み解くうえで、エドワード・サイードが提示した――芸術家が晩年において到達する「新しい表現形式」としての――「晩年のスタイル」なる概念を参照しよう。穏やかさや物分かりのよさといった「老い」や「成熟」にまつわる一般的なイメージを覆す、「和解と達成感がみなぎることのない晩年、芸術家の、妥協を拒み、気難しく、解決しえない矛盾を抱えた晩年」……。本作での簡素さや単純さは、無駄な装飾を削ぎ落とし、未完であることを(そのことへの苛立ちも含め)、むしろ前面に押し出すかのような断片性の魅力を示す。老年に達した後に傑作を量産したルイス・ブニュエルやエリック・ロメールら「晩年のスタイル」の体現者の系譜に、あるいはホドロフスキーもその名を連ねるのかもしれない。本作のラストでの旅立ちの光景は、「終わり」(完成)であるどころか朗らかな「始まり」(未完)の宣言であり、ホドロフスキーの輝かしき「晩年」がここに船出の時を迎える。
映画『リアリティのダンス』
監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー
出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー
音楽:アダン・ホドロフスキー
原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)
原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)
配給:アップリンク/パルコ(2013年 チリ・フランス)
◎7/12(土)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開
http://www.uplink.co.jp/dance/
©photo Pascale montandon-Jodorowsky
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