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ヴァレリー・アファナシエフ 特別寄稿:死と愉しみ(全訳)第1回
intoxicate誌2/20発行vol.72で特別寄稿いただいたものの、全文をイントキ・ブログにて毎週アップしていく予定です。内容は、2007年11月来日時に行われたレクチャーです。レクチャーで翻訳をされた田村恵子さんに多大なるご協力をいただきました。ありがとうございました。(協力:コンサートイマジン)
第1回
音楽はさまざまな気持ちを含み持つものです。ですから、本当の意味での無邪気さと限りなく不安な感情が、矛盾なく一つの楽曲の中に存在し得るのです。ボンベイからパリにやって来た27歳と25歳の青年たち、カダールとシャリーは「着いたころ途方に暮れていました」と到着当時を振り返ってパリの新聞のインタヴューに答えています。「でも僕たちにはメトロのホームで演奏していたアコーデオニストの音楽に耳を傾ける余裕はありました。その演奏と来たら、本当に素晴らしかったんです」彼らは、こう語っています。それから、こんな感想を述べる若者もいます。「僕たちの町では、ストリート・ミュージシャンはハーモニカかギターって決まってるんですよ。ですから、パリでヴァイオリンを道で演奏しているのを聴いたときには感動しました!」思ってもみないところで音楽を耳にした時、日々の厄介な問題を多数抱えていても、心を洗われるような気分になる人は多いようです。そうは言っても、しばしばコンセルバトワール(音楽大学)の学生が生活費を稼ごうと道端で演奏していますが、そんな光景に、歩みを止めて耳を傾ける女性がそう多くいるとは思えません。それにしても、ストリートで演奏しているミュージシャンに人だかりがしていると何だか気になって、わざわざ群集に混じって聴きに来る人も多くいます。やはり、音楽と言うものは、つかの間、憂き世のもろもろの心配事から心を解放してくれるからでしょう。
それでは、少し話題を変えて、聴きたくもないのに音楽を聴く羽目に陥った人々が、どれほどいらいらさせられるか、と言う問題に目を転じてみましょう。ここ二年ほど、私の家の近所の人々は、私が弾くピアノの音にかなり悩まされているようです。しかし、私は日に8時間も練習するタイプの演奏家では決してありません。それでも、私がほんのわずか、楽器を弾くことが、隣近所の人々の神経を逆なでしているようです。ここに、一年ほど前に私の元に届けられた手紙をお見せしましょう。
<度重なる忠告にも関らず、貴殿が職業上の必要性に応じてピアノを使用されることから生じる騒音公害の被害をこれ以上広げないために、貴殿のアパルトマンの防音工事を即刻行われんことを、今一度、強くお願いするものであります。
本状の内容を尊重されない折には、強制的な司法措置をとらせていただきたいと思います。>
これは、近所の方々からの二通目の書状です。私が時折、ピアノの練習をすることによって引き起こされる騒音公害について強く訴える内容を含んだ一通目の手紙を、私はうかつにも紛失してしまいました。そうした間にも、代表者の方の奥様は、練習場所を他所に確保するようにと示唆する内容の電話をかけて来られます。「たとえば、音大などで練習なさっては・・・」私は無駄と知りながら、音大には私の練習にふさわしい楽器がないのだと説明を試みました。それにしても、自宅にお気に入りのピアノがあっても、弾くことができないのでは、何のために持っているのでしょう・・・
それからしばらくして、アパルトマンを数ヶ月留守にしました。帰宅すると、私は、自分の日常生活に合い、ご近所に迷惑をかけない常識の範囲に沿った時間を、ピアノを思い切り弾くことに当てました。すると、一週間後に以下の内容の三通目の手紙が届けられました。
<ここ数ヶ月の間、貴殿のピアノによる騒音公害に悩まされることがなかったため、私どもは、貴殿が先に差し上げた書状の内容をご理解くださったことと考えておりました。
ところが、再び貴殿のピアノ演奏に伴う騒音が、私どもの生活を脅かしております。
このたび、改めまして貴殿が原因となる耐え難い騒音をお止めくださることをお願いいたします。>
まことに、どんな種類の音であれ、騒音公害とは我慢できないものです。何かの画像を何度も見せられたとしても、目をつぶれば見なくてすみます。もっとも、死刑執行人に捕まえられて、目を無理やり開けさせられているような場合は別ですが。ところが音楽は耳栓でもしない限りは、聴かないでいることはかないません。そして、とびきり音楽的な音というのもまた、聴くものを脅かします。マイリンクの『ゴーレム』の冒頭にこういう一節が見られますが、大変鮮やかな音楽的イメージを伴っています。<再び、そしていつでも、とても執拗に、奇妙な声が私の裡に響き渡る。風が何度も壁に向かって打ちつける鎧戸のたてる規則的な音のように・・・いや、全然ちがう・・・> 主人公は周囲に立ち込める不吉な力に理性を失っています。風が規則的に壁に打ち付ける鎧戸のたてる音は、穏やかな性格で何の問題も抱えていない人物にすら、理性を失わせ、狂気に見舞われた人にしてしまうでしょう。このように、逃げ場のない音楽を聴いて、人はどのような気持ちを抱くでしょうか。一般的に言って、声は聴く人に、もっと穏やかで、気持ちの良い言葉を囁きます。窓は少なくとも何かの逃げ道ですから、窓さえあれば安心です。しかし、終わりなく繰り返される音の連続に、どのように対したら良いのでしょうか? 私は拙著『アンチ・ダーウィン』において地獄堕ちの人々を待ち構える責め苦について、こう表現しました。<ダンテ的とも言える、人々の心を晴れやかにする、背景となる音を聴くと、私は村祭りの陽気な音楽、或いは退屈なソプラノの発声練習の響き渡るなか、サタンのポートレートに飾られた廃墟の中を散策している気分になる。まるで傷がつき、中心がずれてプレイヤーにかけられたLPレコードを聴いているようである>
1960年代、私はスヴィアストラフ・リヒテルの確信に充ちた音色に惹きつけられていました。この素晴らしいピアニストの練習室に入れるものなら、当時のモスクワ音楽院の学生たちは、どんな犠牲も厭わなかったでしょう。私は或る日、偶然、この名ピアニストがショパンのエチュードをさらっているところを通りかかりました。そこで、窓の下にしゃがみこみ、二時間ほど聴いていました。リヒテルは飽くことなくショパンのエチュードを丁寧にゆっくりと弾いていました。彼の演奏には心を打つものがありました。私は、二時間後、自分の行為に嫌気がさして引き上げました。窓の下で彼の演奏を聴いても無駄だと悟ったからです。
私の家の近所に住む女性が、数年前からピアノを弾くようになりました。その後、彼女は結婚し、夫となった人は、それほど音楽を愛好するようには見うけられません。私が熟知している作品を、間違いだらけで演奏するのを耳にする事は、私にとって大変な苦痛です。まさに <退屈なソプラノの発声練習> です。ピアニストであっても、他の人が何百回も同じ曲を練習するのを聞くのは苦しいことです。こんな時、音楽は耐えがたいものとなります。しかし、音楽は観客に感動を与えることもできます。ディオニソス的な祝祭を思わせるような映像が舞台に映し出され、美しい音楽を、多くの聴衆が身体を揺すりながら楽しんでいるような時は、彼らが感動に身を任せていると言うことができるでしょう。
音楽とは時として、耐え難いものとなります。このフレーズを何百回も繰り返したとしたら、どうでしょうか? <音楽とは時として、耐え難いものとなります。音楽は時として、耐え難いものとなります> これでは、その昔、中国で行われていた拷問のようではありませんか。有名な、独房の中に一滴一滴と水が垂れていく責め苦です。いえ、そんな事はありません。私は広々とした場所で周り中に聞こえるように言うつもりです。すると遂には <音楽とは耐えられるものであろう> となり、更に <音楽とは耐えられるものである> と変化し、最終的には<音楽とは心地よいものである> との見解に達するかも知れません。幾重にも連なって聞こえてくる音に対して、どのように処したら良いのでしょう。正直なところ、何もできないのです。音は不愉快でもなければ、気持ちよくもありません。音は音としてあり、それだからこそ耐え難いのです。愛されている人間が 「私は私なのだ」と声高に述べるとき、この揺るぎのない態度が耐え難いと感じられます。この人物の自己同一性は確固たるものです。音楽も、この愛されている人間と同じようなものです。実際には、充分な時間があれば、愛する人を変えることはできるのです。ところが、楽曲は、如何に多様な音楽家が演奏しようと微塵も変わる事はありません。
ご近所にすむ女性の方に、アパルトマンの玄関ホールで偶然出会ったとしましょう。彼女は私にこう言います。 <あなたのピアノ演奏のお陰で主人が発作を起こしました> このような状況に置かれたら、自殺も止む無しとなるかもしれません。デュルケームは人を自殺へと駆り立てる理由について、こう述べています。 <自死の理由が自殺の方法を決定付けるのではない。どのようにして命を絶つかということを決めるのは、他の動機である。先ずポイントとなるのは、どのような道具が手近にあるのかということである。なにか余程支障となることが起きない限りは、自殺を試みようとする人間は最も手に入り易く、最も見慣れた方法、道具を用いるものである。従って、大都市においては田園地帯よりはビルからの飛び降り自殺が多いのは当然のことだ。田舎にはビルなどないのだから。> ピアノの音を騒音公害とみなす人物が、今にも自殺を企てるとは限りません。私にしたところで、ご近所に住む方の素人っぽい演奏に耐えかねていますが、こうして生きているわけです。プロフェッショナルな演奏家の音楽を聴いても、生きる希望を失うことはあります。ですから、飽くことなく繰り返される音楽を聴いて、自殺を企てることはあるかも知れません。リヒテルは繰り返し同じパッセージを弾いて飽きることがなかったと言います。近所の人々もリヒテルの演奏に聞き惚れていたことでしょう。リストのエチュードを生、或いは運命のシンボルとみなしてもいいのではないでしょうか?
ヴァレリー・アファナシエフ
1947年、モスクワ生まれ。モスクワ音楽院でヤーコブ・ザークとエミール・ギレリスに師事。1968年のバッハ国際音楽コンクール(ライプツィヒ)、1972年のエリザベート王妃国際コンクール(ブリュッセル)で優勝を飾っている。1973年にモスクワ音楽院を卒業、1974年にベルギーへ亡命した。以後、ヨーロッパ、アメリカ各地でリサイタルを行うほか、著名なオーケストラと共演を重ねてきた。日本へは、1983年にヴァイオリニストのギドン・クレーメルの共演者として初来日。1987年の《東京の夏音楽祭》のソロ・リサイタルで熱狂的な反応を呼び起こした。
レコーディングは、DENONを中心に20枚以上のアルバムをリリースしており、1992年には「ブラームス:後期ピアノ作品集」がレコード・アカデミー賞器楽部門を受賞。来日のたび、新録音リリースのたびに、独自の音楽性が論議を呼び、音楽界に大きな刺激をもたらしている。
ピアノ演奏にとどまらず、《失踪》、《バビロンの陥落》、《ルードヴィヒ二世》などの小説を発表する文学者の顔も持っている。フランス、ドイツ、ロシアでの出版に加えて、日本でも2001年にエッセイ集《音楽と文学の間》が出版され話題となった。また、ナボコフ、ボルヘス、ベケット、カフカ、ジョイスなどを愛読し、ヴィトゲンシュタイン、道教思想、インド哲学に傾倒していることでも知られる。
現在はパリを拠点に活動。現代におけるカリスマ的ピアニスト、指揮者として注目を集め続けている。
田村恵子
上智大学大学院博士後期課程修了。
専門は20世紀フランス文学。
フランス語、フランス文学を大学で講じる傍ら、
音楽、映画を中心に翻訳、通訳で活躍。
アファナシエフ氏のレクチャー通訳を
2001年より担当。