トップ > 坂本龍一インタヴューのロング・バージョン(後編)

掲載: 2009年04月30日 19:42

更新: 2009年04月30日 19:42

文/  intoxicate

坂本龍一  インタヴュー (後編)
interview&text :小沼純一(音楽・文芸批評家/早稲田大学教授)



intoxicate vol.78(2/20発行)に掲載した坂本龍一氏のインタヴューですが、インタヴューをして下さった小沼純一さんのご厚意により、誌面のほぼ倍の文字数に及ぶロング・バージョンを本ブログに二回に分けて掲載させていただきます。泣く泣く削った箇所もバッチリ入った完全版です。



前編はこちら



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(左から)



『out of noise』 /坂本龍一
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『音楽は自由にする/Musik macht frei』坂本龍一・著
[新潮社  ISBN:978410-410602-8]



『schola vol.2 Yosuke Yamashita Selections:Jazz』
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『commmons: schola vol.2 Yosuke Yamashita Selections: Jazz』 発売記念トークセッション&抽選会開催! 坂本龍一 x 大谷能生 ゲスト:山下洋輔

開催日:2009年5月5日(火)
時間:16:00
場所:タワーレコード新宿店7F
参加方法: 要整理券。予約者優先で『commmons: schola vol.2 Yosuke Yamashita Selections: Jazz』購入者に先着で優先入場整理券を差し上げます。※イベント当日、優先入場整理券をお持ちのお客様には抽選券を配布致します。
対象店舗:新宿店



その他詳細はこちらをご参照ください。



インタヴューを読む






 



 







 



坂本龍一  インタヴュー (後編) 
interview&text :小沼純一(音楽・文芸批評家/早稲田大学教授)

 「作曲」という。com-positionとは、構築性から音による建築ということを連想させるが、そこから近年はなれているニュアンスが日本語の「作曲」にはあるし、げんに、そうしたことがさまざまなところで起っているのではないか。



 「マッキントッシュを買えばGarageBandに膨大なファイルがあり、はいドラム、はいギター、はいベース、はいキーボードのリフとか選んで、べたべた貼りつけていくと、曲になっちゃう。それも「作曲」でしょ? だけど厳密にいえば、それは"共作"なんです。その音のオブジェを作った人たちがいて、組み合わせているわけで、言ってみればDJ的っていうか……でも、それは共作に近いものなんですよ。そっちが主流になりつつある。だからもう、紙の上に建築的な頭で設計して書いていくっていうのはこれから滅びていくかもしれない(笑)。現代音楽も含めて、昔はテープでやっていたけど、音をオブジェ的に変形させたり置いたりしていって──電子音楽、あるいはミュージック・コンクレートみたいなのが溶解して、同じような手つきで作れるようになっているから、一応まあポップス的なというか、いわゆるシリアス・ミュージックじゃない場所で活躍しているalva noto、fenneszと、シリアス・ミュージック、現代音楽寄りの方とほとんど境界がなくなっている。IRCAMみたいなところにいる人とfenneszはほとんど境界がなくて混じっちゃってる。音楽大学でどういうことを教えてるか僕は知りませんけど、もちろんきちっと紙に書くメティエはこれからも教えていったほうがいいと思いますよ、でもそれは衰退していくんじゃないか(笑)……と思う」



 コンピュータ・ソフトは匿名的だけれども、じつは制作している生身のひと(たち)がいて、坂本龍一も発言したりしているコピーライトの問題も交差している。



 「GarageBandみたいなもの、プログラムした人の設計っていう、如何に自由度を持たせて書くか、アプリ(ケーション)を作るか、っていうのはかなりクリエイティヴな仕事で、それはインフラでみんなその上で遊んでるだけだから、まあ、玩具みたいなもんですけど、そこは大事ですよ。名前はあまり出てこないけどね」



 作曲というよりも、音を「おいていく」こと。



 「たとえば、3曲目《still life》。即興、5年位前にピアノでつくったのがあり、その後、東野珠実の笙、清水ひろたかのギターというのをそれぞれ別々に即興されたものを組み合わせています。イギリスの古楽アンサンブル、Fretworkのパートだけ、音型だけを譜面に書いて渡している。でもこれはそれぞれに違うテンポで弾いてもらうというもので、パート譜しかない。違うテンポで弾いてもらう。順番も任せていて偶然に委ねられているから、スコア、つまり全部を1枚に書いた総譜はないんです。あるいは4曲目《in the red》は、やはりピアノの間をおいた音が何年も前にあった。それにfennesz、高田漣の別々の即興があり、それらを切り貼りしている。違う場所と時間がここには重なっているんです。最後に、たまたまニューヨークの家でテレビを見てたら、火事で焼け出された黒人のおじいちゃんがいて、ぜんぶ失っちゃったけど、おれは大丈夫だよ、I'll be all right、生きてるから何とかなる、みたいなことを言っていて、一瞬だけどすごくよかったんで、録音して、使っている。切り刻んでループしたりしてね。繰りかえしその言葉がでてくるんだけど、何か不思議な意味がね、ストーリーじゃないけれど。もとは10秒足らずのちょっとしたニュース映像にすぎないのに、かなり面白いものができたと思っているんです」



 こうした、いわば「管理されない」音のありようが、スタジオという抽象化された空間で重ねられたのではない音たちの生きた時間と空間が、このアルバムを、少なくともわたしにとっては、何度も聴く、聴かなくてはという誘いになっているのかもしれない。
 しかも、譜面に書き記せない----だから逆に"聴く"ことをしないとならない。アタマでわかったような言葉にまとめる、まとめきることができない。



 「ライヴは、だから、こういうかたちではできないですよね。3~4月にツアーもやるけれど、アルバムのお披露目をうたっているわけでもないから、こういうふうにはならない。あ、そういえば、このアルバムでは一度もシンセサイザーを使っていないんだ。ウーリッツァのエレクトリック・ピアノとアップライトのピアノだけしか、ぼくは楽器を使ってない(笑)」



 この春、坂本龍一の話題は目白押し。新潮社からは自伝の刊行があり、ソロ・ピアノのツアー、schola第二弾「ジャズ」もある。この日、『ミュージック・ステーション』出演の翌日、少しお疲れの様子だったが、この先まだまだ多忙な日々がつづく。そう、考えてみれば、会議や"一緒"のインタヴューではなく、坂本さんにアルバムについてこちらから話を聴くのははじめてのことだったのである。



(おわり)