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スガダイローの《ボディ・アンド・ソウル》を聞いた。それは加藤真一
(ベース)とのデュオを収録したライブだった。クリシェとも言え
る凡庸な、というか原曲に忠実なイントロからはじまるとてつもな
く凡庸なマナーのまま、曲は次の瞬間、またふたたび、振り出しに
戻りつつ、なんども、うまくいかないイントロの出だしに、繰り返
し、唐突に、むしろでたらめに、なんども戻りつつ、音楽はとま
り、そして進み、ある瞬間、快楽的にボディーアンドソウルのメロ
ディに解放される、というか進むことの快楽。
それはスタンダードの、誰もが知っている曲につけられたためらい
傷のようでもあり、何度もジャズは死んだというクリシェを聞かさ
れてきた誰もが抱えてしまった、ジャズは新しくないかもしれない
という、去勢不安に由来する自死を演出する、そのためらい傷のよ
うに、聞こえた。
それは、自らの手首を触りながら、歴史の血脈に、個人的な介入へ
の口実をあたえるための、入り口、あるいは出口を探す、そんなど
もり、あるいはもどし。
キップ・ハンラハンのライブ盤、『all roads made for
flesh』に収録された《The First and Last to Love Me (4,
december)》という曲。カーメン・ランディをディノ・サルーシのバ
ンドネオンが伴奏するこの、類い稀な声の曲は、恋心を告げる、正
確に自分の気持ちを伝える、あるいは伝わらない女、もしくは男
の、果てしない試み。なんども、繰り返し、訂正される女の告白の言葉。
映画、女と男のいる歩道。主人公のナナと哲学者の会話。
ナナ「変だわ、急に何をいっていいかわからなくなっちゃった。よ
く、こうしたことがあるのよ。言わんとすることはわかっている。
しゃべる前に考えるのよ。‥すると、不意にそれが言えなくなって
しまう。」
続く、哲学者の引用、「三銃士に登場するポルト、思考を経験した
ことのない男が人生最後の瞬間思考したその時、死ぬという寓話」
そしてナナ「でも、どうしていつでも話さなければいけないの?ー
中略ー話せば話すほど、言葉は意味を失っていく。」
ゴダールが作り出したこのダイアローグを伴奏する二つの音楽。
ひとつは、スガダイローの《ボディ・アンド・ソウル》
そしてキップ・ハンラハンの《The First and Last to Love Me (4,
december)》
スタンダードに刻まれた、ためらい傷。ジャズを、それを演奏する
ものが、再生を演出するための、自壊を擬装する美しさ。
キップの、言葉の、メッセージに刻んだ、シアトリカルなためらい
の、誰もが正確に何も伝えられないという、失敗の記憶へのトリ
ビュート。それは、ゴダールの古典が暗示した、人のいとなみの、
美しい所作のためらい傷の音楽的演出。
スガダイローが傷を刻む曲に、何故ボディーアンドソウルを選んだ
のか、その理由を、ジャーナリズムは誰もまだ、問うてはいない。
もちろん、キップのその曲の意味ですら、誰もしらない。
そのいずれもが、音楽が、音楽を超える所作を見いだした歴史的な
瞬間だったのに。