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「高橋悠治・藤井一興 20世紀横断 ソロ、連弾、2台ピアノコンサート」
高橋悠治さんと、藤井一興さんの2台ピアノコンサートのお知らせです。
藤井さんのインタヴューもありますので、ご一読ください。
Cornelius Cardew: We Sing For The Future (1980) 悠治ソロ
Cornelius Cardew: Boolavogue (1981) 2台
小倉朗:2台のピアノのための舞踏組曲(1953) 2台
高橋悠治:とげうた(1980 rev. 2010) 連弾
Claude Achille Debussy: 金色の魚(映像Ⅱより)、花火(前奏曲Ⅱより)一興ソロ
Kurtág György: Játekók IV, VIII巻から数曲とBach-Kurtág 編曲の連弾
2011年7月18日(月・祝日)
午後2時開演(1時30分開場)
会場:トッパンホール
主催/コンサートイマジン
詳細:
http://www.toppanhall.com/concert/detail/201107181400.html
高橋悠治 え・柳生弦一郎 藤井一興(c)相田憲克
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藤井一興インタヴュー
(「2011年7月18日トッパンホール 高橋悠治×藤井一興20世紀横断
ソロ、連弾、2台ピアノコンサート」のこと)
──悠治さんとはだいぶ前のイシハラホールのメシアン《アーメンの幻影》が初めてですか。
「そうですね。それから昨年の静岡音楽館でアキさんたちと」
──ホセ・マセダの五人のピアノの為の作品のなかのお二人でしたね。そのどちらも、まあ頼まれてのことでしょうから、本格的にお二人の会は初めてみたいなものでしょうか。
「そういう意味ではそうかもしれません。悠治さんと共演できて、とても光栄に思っております」
──藤井さんはすぐに弾けてしまうし、伴奏とかもたくさん頼まれるでしょう。それ以外に作曲をやったりクリエイティブな面もたくさんお持ちですから、今回のような会はとても楽しみにしているファンが多かろうと思いますけど。
「そうですねー。カーデューはお名前は知ってましたけど作品は存じ上げませんでしたし、小倉先生はもちろん御高名ですけど、この2台ピアノの作品は今回初めてです。クルターグはパリでも子供のための作品とか知られていて、面識はありませんが、よく知っています」
──クルターグは去年パリのオペラ座で大きな会をやったんです。オペラ座でアップライトピアノの連弾を奥さんと。自作とかバッハのアレンジとか。それを今回もやっていただくんですけど。
「クルターグは日本でももう20年以上前に、その子供のための作品とかで随分話題になりましたね」
──クルターグってピアノの先生としても実績があって、ラーンキとかコチシュとかハンガリー系の大物で彼の弟子が随分いますね。藤井さんと同じように。
「いえいえ。でもとてもいいレッスンをしてくださる、というのは小耳にはさんだことがあります。子供のための作品でもクラスターを使ったりとても興味深く譜面は見ていました」
──クルターグのバッハのアレンジの特徴はどのへんですか?
「まず連弾ですから、第一ピアノの方はそもそも普通より高い音域になって、そこでわざと右手と左手を交差させて左手で高い音を弾かせるようにしているところなんかがあるんです。そうするとやはり音色的にも違う味が出てきます。パイプオルガンで4フィートの管がありますよね。あんな感じでオクターブ高い音を左手の音色で弾かせる、と。だからちょっとパイプオルガンのような効果を思わせるところもあります。元が一つの楽譜上の音でも、違う音色のオクターブ上の音が響くわけです。それに、元の曲もいいですしね」
──それはやはり普通のアレンジとちょっと違いそうですね。
「そうですね。知的操作が行われている感じです」
──高橋悠治作品もお弾きになるのは初めてですか?
「聴くのはもちろん色々うかがってますよ。数住岸子さんがお弾きになった無伴奏の《七つのバラがヤブに咲く》はとてもきれいな曲だと思いましたし、コンピュータ系の作品とかも。弾かせていただくのは今回はじめてで、今回の《とげうた》は連弾ですけど、やはりご自分でお弾きになると、より素晴らしいですね。リズムの取り方とか。本当に天才的なリズム感だと思います」
──小倉朗さんの2台ピアノ作品はどうですか?
「私が1955年生まれですからその2年前に作られてるんですよね。そういった時代のことも興味深いです。2台ピアノだと尾高尚忠さんの作品が昨今試験でも弾かれたりよくとりあげられますけど、あちらのほうが古典的ですね。小倉先生のほうがとらわれないというか新しい響きへの考えが見えるようです。あの時代の2台ピアノ作品ってそれだけでも珍しいというかあまり数はないんじゃないですか?執筆活動もご立派ですし大変な実績を残された作曲家だと思います」
──そう考えると小倉、クルターグ、悠治、藤井と皆、巾の広いあれこれおやりになるタイプですね。
「多岐にわたってますね。クルターグの楽譜は、その書き方を見ているだけでも苦労した後の、深い考えが滲んでいるのが分かる気がします。きっと色々あったんだろーなー、というような。あの辺の地域的な感性も、より西側の人たちとは全然違いますし」
──カーデューはクルターグに比べればそこまで知られていないといいますか。フレデリック・ジェフスキーなんかに近いイメージですか。
「ジェフスキーはよく知られてますでしょ?ほら、あの《不屈の民》とか。カーデューって、ジェフスキーに比べると、とてもナイーブに思えるんです」
──具体的にはどういったことでしょう?
「今回取り上げる作品は1981年のものですけど、その時代に長三和音、短三和音が出てきて、バッハへのオマージュみたいなところもあります。シュトックハウゼンの弟子であれこれ経験してきた人がね。あと、あまり理解されないタイプだったかもしれません。その点ジェフスキーは少なくとももう少し知られていたりアピールがあったりしたんじゃないかと思います。じゃあカーデューが地味かっていうと、そうでもないんですけど。やはり70年代にあれこれ出尽くしたみたいになって、それへのアンチやらもあるのかもしれません。あのあたりの数年は結構大きいような気がしますけど。でも本人は意外に吹っ切れているかよほどの決心か、浄化されてるような気さえします」
──1981年というところがポイントみたいですね。
「でもカーデューにしても悠治さんが取り上げたから知られるみたいなこともあるかもしれません。名前くらいはきいたことあっても実際にやられるのはなかなか大変ですから。ともかくそのあまり声高には言わないデリケートさみたいなところを大事にして壊さないように演奏しませんと。この曲も悠治さんの演奏は聴きものですよ。やっぱり分かってますからね」
──あとはドビュッシーのソロで20世紀横断と…
「こういうプログラムで入れてみるといいかなって思いましてね」
(2011年6月 東京にて インヴュー・文責 平井洋)