ウィーンの名ヴァイオリニスト、ヴォルフガング・シュナイダーハン生誕100年記念特集
「シュナイダーハンは世にも優雅な音色をもつヴァイオリニストである。(中略)オペラや交響曲演奏会で、ヴィーナー・フィルハーモニカーのヴァイオリン独奏のところでシュナイダーハンが奏するのを、われわれは魅せられたように聞き入ったものだった」
(渡辺護著「現代演奏家事典」全音出版社、昭和27年刊)
ウィーン出身の名ヴァイオリニスト、ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915.5.28~2002.5.18)が生誕100年を迎えました。タワーレコードではこの名手の生誕100年を記念して、3月11日には「生誕100年記念ヴォルフガング・シュナイダーハン名盤選」5タイトル、6月3日発売の「VINTAGE COLLECTION+plus」Vol.20ではケンペン指揮ベルリン・フィルと共演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ほか(PROC-1708)を復刻いたしました。また、ユニバーサルからは1998年に発売された「シュナイダーハンの芸術1200」のうち22タイトルがアンコールプレスされるなど、シュナイダーハン再評価の機運が高まっています。
5月28日のシュナイダーハン生誕100年の誕生日を迎え、改めて彼のヴァイオリニストとしての歩みを追うために特集ページを作成し、関連CDをまとめました。ぜひご覧いただければ幸いです。
「神童」からコンサートマスターへ
彼は3歳でヴァイオリンを始め、5歳にはリサイタルを開いた「神童」で、チェコの名教師オタカル・シェフチーク(セヴシック)とウィーンのユリウス・ヴィンクラーに師事しました。彼はロンドンに渡り、ヴォルフィ(Wolfi)のステージ名で、ソプラノ歌手のマリア・イェリッツァや伝説的なバス歌手のフョードル・シャリアピンら、当時の名演奏家とジョイント・リサイタルを開催しました。
彼の録音キャリアは1927年、12歳のときに始まります。英コロムビアに1930年代にかけてヴァイオリン小品を8曲録音しています。レーベルの演奏者名はステージ名と同じくWolfi Schneiderhanと記されました。何れも甘美な音色と流麗なフレージングによる、夢見るように演じられています。これらの録音は1990年に発売された「ヴォルフガング・シュナイダーハンの芸術」(Amadeo PHCF-3001~6[廃盤])で初復刻されましたが、現在入手できなくなっているのは残念です。※その後クヮルテット・ハウス・ジャパンが発売した「ワルター・バリリ - ドイツ・ポリドールSP全録音集」(QHJ-1011)の余白に6曲の小品が収められ、再び入手できるようになりました。
しかし、彼自身は「神童」であることに嫌気がさし、1933年、18歳のときにウィーン交響楽団のコンサートマスターへ転身します。そして1937年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任し、第2次世界大戦の戦中戦後の困難な時期に、ウィーンの音楽界を支えました。彼はウィーン・フィルのトップメンバーとシュナイダーハン弦楽四重奏団を組み、演奏会、放送、録音に積極的に活動しました。同時に、ソリストとしても活動し、ターリヒ指揮チェコ・フィルと共演したチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ベーム指揮ドレスデン国立歌劇場管と共演したブラームスのヴァイオリン協奏曲、ウィーンのピアニスト、フリードリッヒ・ヴューラーとのソナタ録音を残しています。
1944年にはハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルとともにバッハのヴァイオリン協奏曲第1番を放送録音しています(Archipel ARPCD102)。今日の耳にはたいへんロマンティックなバッハ演奏で、この時期のシュナイダーハンの芸風が天才少年時代の延長線上にあることが判ります。ただ、これだけ甘美に演奏しても品格が全く落ちないところは彼の優れた音楽性、芸術性を証明しています。こうした甘美さは2015年に世界初CD化された1953年の同曲録音(タワレコ限定 PROC-1652)にも保たれています。
1944年にはシュナイダーハン弦楽四重奏団での放送録音も行っています。ハイドンのOp.76-3、ブラームスの第1番、シューマンの第3番が2014年にMelo Classicsより初復刻され、ファンの話題を呼びました(Meloclassic MC4001)。同レーベルからは1943年録音のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番(Meloclassic MC2019)も復刻されました。
ゼーフリートとの結婚、フィッシャー・トリオでの活躍
1948年にはウィーン国立歌劇場の名ソプラノ、イルムガルト・ゼーフリート(1919~1988)と結婚。クラシック界のスター同士の結婚は話題となり、その公私両面にわたるおしどり夫婦ぶりで有名となりました。同じ年、ドイツの名ヴァイオリニスト、ゲオルグ・クーレンカンプ(1898~1948)が亡くなると、その後任としてルツェルン音楽院の教授に就任し、同時にクーレンカンプが参加していたピアノ三重奏団に加わりました。ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886~1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897~1976)とのトリオはヨーロッパ楽壇の名物となりました。
このトリオは三人の専属レコード会社の違いから商業録音を残しませんでしたが、現在放送録音がCD化され、その素晴らしい演奏を楽しむことができます(Orfeo ORFEOR823104、Archipel ARPCD235など)。
ウィーン・フィルのコンサートマスターからソリストへの転身
1949年、シュナイダーハンはソリストとして独立するためにウィーン・フィルのコンサートマスターを辞任。同時にシュナイダーハン弦楽四重奏団の活動も停止しました。ちなみに、残った3人のメンバーはワルター・バリリ(1921~ )を第1ヴァイオリンに迎え、バリリ弦楽四重奏団として演奏活動を再開します。1950年代、シュナイダーハンはヨーロッパを中心に演奏活動を行いました。また、1952年にはドイツ・グラモフォン(DG)と専属契約を結び、ヴィヴァルディからストラヴィンスキーまで、幅広いレパートリーを録音してゆきます。
1950年代前半のシュナイダーハンは、まだデビュー以来のロマンティックな演奏様式をもっていました。それは、パウル・ファン・ケンペン指揮ベルリン・フィルと録音したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(タワレコ限定 PROC-1708)、フルトヴェングラーと共演した同曲(タワレコ限定 PROC-1651)、ヴィルヘルム・ケンプと共演したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集(タワレコ限定 PROC-1647)、ヴューラーと共演したブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集(タワレコ限定 PROC-1650)に明らかです。ゆったりとしたテンポと温かく柔らかな音色を用いた優美、かつ格調高い演奏は、DGへのモノラル録音によって世界に知られました。この時期は、超絶技巧家のヤッシャ・ハイフェッツとスケール雄大なダヴィッド・オイストラフの全盛期にあたり高い人気を誇っていました。シュナイダーハンは第2次世界大戦で人材が払底したドイツ=オーストリア系の数少ない名ヴァイオリニストとして、ウィーン弦楽派の粋を聴かせる貴重な存在でした。
1950年代の後半以降、彼の芸風は変化を見せ始めます。豊かな感情表現はそのままに、ヴァイオリンの音色は引き締まり、テンポも速まり、端正な造形を聴かせるようになりました。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(新発見の1959年録音)&バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(タワレコ限定 PROC-1444)、カール・ゼーマンとの近代ヴァイオリン作品集(G POCG-90183)、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集(G POCG-90192~94【分売】)、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集(G POCG-90197)は、この時代の彼の姿をとどめたものです。
世界的な演奏活動と後進の育成
1960年代からは世界に活動の場を拡げました。世界各地のオーケストラへの出演や、妻のゼーフリートとのジョイント・リサイタルなどを行いましたが、こうした環境の変化が、彼の演奏スタイルにも影響を与えていたようです。音色が明るく、抜けの良いものとなり、勢いのある運弓により一層自在な表現を聴かせるようになりました。それは、音楽の都に生まれ育った彼が、世界に羽ばたいてゆく姿をそのまま映したようにも感じられます。
1962年にヨッフムと再録音したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(タワレコ限定 PROC-2221)は、同じヨッフムとの1959年盤との違いがたいへん興味深いところです。演奏内容ばかりでなく、使用カデンツァを同じベートーヴェンがピアノ用に作曲したものをシュナイダーハン自らアレンジしていますが、そのアレンジも異なっています。ベルリン・フィルを弾き振りしたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集(タワレコ限定 PROC-2048)、ワルター・クリーンと共演したシューベルトのヴァイオリン作品全集(G POCG-90195~96【分売】)などからは、清々しさと活力に溢れたシュナイダーハンの行き着いた演奏をスタイルを満喫することができます。
彼はヴァイオリン教師としても名高く、ウィーン・フィルのコンサートマスターを務めたゲルハルト・ヘッツェル、ルツェルン祝祭合奏団を設立したルドルフ・バウムガルトナー、そして我が国の久保田巧、西田博など、数多くのヴァイオリニストを育成しました。シュナイダーハンの音楽的遺伝子は、現在の音楽界にも受け継がれ、生き続けています。
(タワーレコード商品本部 板倉重雄)