2月2日は「愛の喜び」「愛の悲しみ」で名高いヴァイオリニスト、クライスラーの誕生日です
ウィーン出身のフリッツ・クライスラー(1875~1962)は「愛の喜び」「愛の悲しみ」などの親しみやすい名曲の作曲と、ロマンティックで情趣あふれる演奏により、20世紀前半にジャンルを超えて愛された名ヴァイオリニストでした。
超絶技巧でスリリングな演奏で新しい美意識を生んだヴァイオリニスト、ハイフェッツ(1901~87)とは偶然の一致で同じ2月2日生まれ。この二人には、同じ1923年、関東大震災の年に来日したことも共通しています。
2大名手の誕生日を記念した特集です。
クライスラーの自作自演「愛の喜び」
クライスラーの自作自演集をまず1枚という方におすすめ!
コンポーザー=ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーの代表作を集めた自演集。
クライスラー全盛期の1920年代の録音を中心とした選曲により、「愛の喜び」「愛の悲しみ」「中国の太鼓」「美しきロスマリン」など名曲の数々を、彼自身の暖かな音色と艶やかな節回しで満喫できる1枚です。
クライスラーが弾く三大ヴァイオリン協奏曲集
ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンが作曲したヴァイオリン協奏曲は、俗に「三大ヴァイオリン協奏曲」と呼ばれる名作です。美しいメロディと堅固な構成、気品にあふれた音楽は、聴き手に感動を呼び覚まします。そして名手クライスラーは、全盛期にこの3曲を録音してくれました! 1920年代の録音なのでレンジは狭く、雑音も目立ちますが、クライスラーの甘美な音と気高い精神は録音の悪条件を突き抜けて、21世紀の我々に語りかけてきます。日本語解説付き。
「ヴァイオリンの旧約聖書」クライスラーの録音が一挙に揃う10枚組、しかも超お買い得
クライスラー録音の全集は、まさにヴァイオリンの歌う要素と、奏者のハートをダイレクトに伝える魅力を刻印したかけがえのない録音です。ハイフェッツの全集が「新約聖書」とするならば、クライスラーの全集はまさに「ヴァイオリンの旧約聖書」。このBOXは10枚組で価格が驚くほど安いこともポイントです。日本語解説が不要という方には真っ先におすすめします。
※ページ下方にクライスラーの関連商品をまとめています。併せてご覧いただければ幸いです。
クライスラーと録音(ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を中心に)
(1)デビューまで
クライスラーは1875年2月2日、ウィーンで生まれ、1962年1月29日、ニューヨークで没した大ヴァイオリニスト、大作曲家である。彼が自分の演奏会で弾くために書いた数多くのヴァイオリン小品、「愛の喜び」「愛の悲しみ」「ウィーン奇想曲」「美しきロスマリン」「中国の太鼓」などは、クラシック音楽に興味のない方にもどこかで聴いたことのあるメロディーであるに違いない。ミュージカルの作曲家としても1919年の「リンゴの花」と1932年の「シシー」で2度にわたり大ヒットを飛ばしている。ヴァイオリニストとしては10歳でウィーン音楽院を、12歳でパリ音楽院を首席卒業した神童で、早くも13歳のときに名ピアニスト、モーリッツ・ローゼンタールとともにアメリカ演奏旅行を行い、成功を収めている。その後、町医者だった父の配慮で医学を学び、軍務にも就いたのち、20歳から演奏活動を再開。1899年、24歳のときにアルトゥール・ニキシュ指揮ベルリン・フィルの演奏会に出演し、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏。決定的な成功を収め、超一流のヴァイオリニストとしての評価を獲得した。丁度この頃は1877年に発明されたレコードが消費財として大衆のものになりつつある時期に重なっていた。そして、クライスラーの名前はレコードとともに欧米のみならず世界へと広まってゆく。
(2)録音により世界に名を馳せる
クライスラーの録音歴は、1904年にベルリンでGramophone and Typewriter社のために5枚の小品を吹き込んだことに始まる。当時はマイクロフォンが発明される以前の、ラッパで集音するアコースティック吹き込みの時代で、編成の大きなオーケストラの音を捉えるのは技術的に難しかった。また、当時のSPレコードの収録時間は最大4分半で、30分を超えるような大曲よりは、3~4分の小品が適していた。クライスラーは1925年にマイクロフォンによる電気録音が始まるまで、約200面もの録音を行ったが、オーケストラを伴う協奏曲の録音はモーツァルト(第4番)とブルッフ(第1番)のみ。他はすべて「愛の喜び」や「愛の悲しみ」をはじめとする小品である。そして、これらの親しみやすい小品がクライスラーの温雅な演奏と相まって大衆に親しまれたのである。
(3)人力車の車夫までも…
1923年5月、クライスラーは唯一の来日公演を行っているが、クライスラーの名はアメリカ・ビクターの輸入盤SPレコード(当時、日本ビクターはまだ設立されていなかった)により、すっかり知られており、演奏会は大成功。「人力車の車夫たちまでが、包みからクライスラーのレコードを取りだして、彼のサインを求めた」という。また、クライスラーが1935年にリオデジャネイロに行った際は「彼のレコードが南米でベストセラーになっていることを何回も聞かされた」という。(以上、ロックナー著/中村稔訳「フリッツ・クライスラー」白水社)クライスラーは"喜劇王"チャップリンや"歌劇王"カルーソーなどと肩を並べる世界最高のエンターテイナーだった。
(4)ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を録音
もちろんクライスラーは小品だけのヴァイオリニストではない。レコードによってクライスラーの大曲での真価を知るにはマイクロフォンを使った「電気録音」の時代を待たねばならなかった。1924年、ウェスターン・エレクトリック社が「電気録音」を開発すると、レコード各社は1925年からこの新方式での録音を開始した。
イギリス・グラモフォン社はクライスラーのヴァイオリンで、1926年12月9日(木)と10日(金)にまずメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を、そして15日(水)と16日(木)にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲をベルリン・ジングアカデミーで収録した(ブラームスのヴァイオリン協奏曲は1年遅れで、1927年11月21日・23日・25日に収録した)。ちなみに戦前のベルリン・ジングアカデミーは現在の再建されたものとは異なり、1829年3月11日にはメンデルスゾーンがバッハのマタイ受難曲の復活蘇演を行った会場としても知られている。また、翌1927年はベートーヴェンの没後100年にあたっており、その記念盤の意味も含めた録音であった。
1927年3月、この2組のSPアルバム(ベートーヴェンは6枚組、メンデルスゾーンは4枚組で、文字通りアルバムのようなレコード・ケースに収められた)はイギリスで発売された。イギリスのレコード雑誌、グラモフォン(THE GRAMOPHONE、1923年創刊)は同月号で批評を掲載している。ベートーヴェンは、3月26日の楽聖の命日を目指して発売された他の9つのアルバム(コーツ指揮の《英雄》、ワインガルトナー指揮の第9、バックハウス独奏の《皇帝》など)と一緒に批評され、冒頭「ベートーヴェンは100年前の3月26日の嵐の午後、彼の傑作が惜しみなくレコード録音され100年祭で称賛を受けることを決して予想しなかったに違いない!」と書き始めている。演奏に関しては「クライスラーのテクニック、とくに彼のイントネーションは素晴らしく、深い洞察は音楽を活き活きとさせている。とりわけ緩徐楽章とフィナーレは、どんな称賛の言葉も追いつかないほどだ。」としている。(以上、筆者訳)
(5)日本での反響
当時、日本でこのレコードを手に入れるにはイギリスから直接取り寄せるしかなかった。日本ビクター蓄音器株式会社(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)が設立されたのは1927年9月のこと。国内プレスのSPレコードの第1回発売は1928年2月だったからである。
小説家で音楽評論家の草分けでもあった野村あらえびす(胡堂)氏は1932年に出版した「バッハからシューベルト」(名曲堂)で次のように書いている。
「此レコードが、メンデルスゾーンのコンチェルトと一緒に発表された時、私は全く驚喜しました。当時鎌倉に居らせられたさる高貴の方の特別の思召で、そのレコードを手に入れた時は私は本当に涙のこぼれるほど嬉しかったものです。」
そして演奏については、次のように書き始めている。
「あの第一面、クライスラーのヴァイオリンがまだ出ぬうちから、私共はすっかり夢中にさせられてしまいます。ブレッヒの巨手は、この名曲の名演奏にふさわしい、底光りのする背景を描いて行きつつあるのです。」
つまり、このSPレコードは第1面が管弦楽のみの呈示部で費やされており、クライスラーの登場は第2面からなのである!
「クライスラーのヴァイオリンが、この曲に示した宏大さと、滴るような美しさは、さて何に比較するものがあるでしょう。(略)兎に角、このレコードは私共に『レコード音楽は、決して実演に劣るもので無い』といふことを、実にはっきり教えてくれたのです。」
(6)21世紀まで聴き継がれる
クライスラーは1935~36年にこ2曲を再録音している。両者の比較は戦前から喧々諤々議論されてきたが、録音技術はこの間すばらしく進歩したものの、クライスラーの魅力はブレッヒとの録音に尽きるというのが大方の結論のようだ。とくに日本ではブレッヒ盤が愛され、海外では新録音が出ると同時に廃盤となったところ、1938年の「ビクターレコード洋楽総目録」を見ると新録音と肩を並べてブレッヒ盤もカタログに残しているし、LP時代に入った1957年1月には日本ビクターがブレッヒとのベートーヴェンの協奏曲を世界で初めてLPに復刻している(品番:LH-9)。その後、1960年代に一時カタログから姿を消したものの、1971年7月に東芝が(品番:GR2220)、同年8月には日本コロムビアが(品番:DXM135)相次いでこのレコードの復刻盤を発売して話題を呼んだ。それほどクライスラーとブレッヒのベートーヴェンは日本のレコード・ファンから愛されていたのである。CD時代になっても同様で、日本では東芝やオーパス蔵から、海外でも複数のレーベルから復刻され、今なお聴き継がれている。
2027年、ベートーヴェン没後200年祭を迎えるときには、クライスラーが録音したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲も100年祭を迎える訳である。
(タワーレコード商品本部 板倉重雄)