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CPO レーベル~2026年1月発売新譜情報(6タイトル)

ヨハン・ネポムク・ダーフィト

CD(6タイトル)



■作品詳細

知られざる名曲の発掘、古楽から現代まで幅広く揃えたコレクション、高品質の録音で人気を誇るドイツのCPOレーベル。知られざる名曲の発掘、古楽から現代まで幅広く揃えたコレクション、高品質の録音で人気を誇るドイツのCPOレーベル。

今回はヨハン・ネポムク・ダーフィトの「交響曲第3番&第7番」に、ユリウス・ビットナーの弦楽四重奏曲集、ヨハン・ザムエル・シュレーターのピアノ協奏曲をハープで演奏したアルバム、フリッツ・カウフマンのピアノ三重奏曲集、ラインハルト・カイザーの歌劇《愉快な欺瞞、または、ヴェネツィアの謝肉祭》、知られざる作曲家ウムシュタットの協奏曲集のCD6タイトルがリリースされます。

ヨハン・ネポムク・ダーフィト(1895-1977):交響曲第3番&第7番
ヨハネス・ヴィルトナー(指揮)ウィーン放送交響楽団

オーストリア出身のヨハン・ネポムク・ダーフィトは、ウィーンでマルクスやシェーンベルクらに師事、1934年からライプツィヒ音楽院で教鞭をとり、ナチス時代には主として器楽曲を中心に作曲。戦時動員を免れた彼は、戦後ザルツブルク、シュトゥットガルトで教授を務め、ラッヘンマンらを育てたことでも知られます。1940年に着想した交響曲第3番は、戦後の作風への過渡期となる作品。「旋律性を重視し、上声部が主導しながら全声部を生かした対位法的テクスチュアを持つ。」と自身の作品紹介で語っています。編成は比較的控え目で、トロンボーン、チューバはなく、ティンパニ以外の打楽器もありません。第1楽章は陽気で、第2楽章は内省的、スケルツォは二重フーガ、フィナーレでこれまでの全主題をまとめます。1957年の交響曲第7番は前年作曲の三重奏曲を基にしており、同年ミュラー=クライ指揮で初演されました。こちらは大編成のオーケストラが生み出す不協和音が際立ち、対位法はあまり用いられていません。打楽器の重要性は新ウィーン楽派、とりわけウェーベルン作品を想起させます。第1楽章はティンパニで始まるソナタ形式、第2楽章は二つのフーガを含む創意豊かなスケルツォ。終楽章は多彩な変奏形式で書かれています。
(ナクソス・ジャパン)

ユリウス・ビットナー(1874-1939):弦楽四重奏曲第1番、第2番
トーマス・クリスティアン・アンサンブル

ユリウス・ビットナーはウィーンの弁護士として活躍しながら、戦間期オーストリアを代表する人気オペラ作曲家としても創作を続けました。自作台本による歌劇で成功しましたが、戦後は後期ロマン派の追随者としてのみ名を遺しました。このアルバムには2曲の弦楽四重奏曲を収録。民俗舞曲を採り入れた第1番、より詩的な表現が深まった第2番、これらはどちらも田園的な雰囲気を湛えた絵画的な作品です。
演奏はウィーン弦楽五重奏団の創設者であり、第1ヴァイオリンを務めたトーマス・クリスティアンが率いるアンサンブル。メンバーは、国際的に活躍する音楽家たちで、ウィーン・フィルのメンバーとして活躍するベルンハルト・直樹・ヘーデンボルクも参加しています。
(ナクソス・ジャパン)

ヨハン・ザムエル・シュレーター(1750頃-1788):ハープ協奏曲集、モーツァルト:ハープ協奏曲
ジルケ・アイヒホルン(ハープ)、ダグラス・ボストック(指揮)プフォルツハイム南西ドイツ室内管弦楽団

ヨハン・ザムエル・シュレーターは、ライプツィヒでヒラーに師事した後、ロンドンでピアニストとして活躍。ヨハン・クリスティアン・バッハの後任としてイギリス王妃シャーロットの音楽教師に就任し、初期のピアノブームに貢献しました。公職を引退後も王室を含むパトロンの前での演奏は続け、晩年は指導者として多くの弟子を育てました。
ハープ奏者ジルケ・アイヒホルンが、ハンブルクの友人から送られたシュレーターのピアノ協奏曲3曲の楽譜を受け取ったことがこのアルバム制作のきっかけとなりました。これらの曲はタイトルに「ハープシコード、またはピアノ・フォルテ、またはハープ」と記されていたため、ハープで演奏することにしたものの、楽譜には問題があり、カデンツァは不完全。そこで、インターネットで調査するうちに偶然の出会いからパウル・アンゲラーという人物が完成させた資料を入手し、解決につながりました。このパウルは1971年から10年間、当録音で演奏しているオーケストラを指揮していたこともあり、その縁でオーケストラとも良好な関係を築くことができたとブックレットで彼女が語っています。アルバムにはモーツァルトがヨハン・クリスティアン・バッハ作品を編曲したピアノ協奏曲から、ハープで演奏した1曲も収録されています。
(ナクソス・ジャパン)

フリッツ・カウフマン(1855-1934):ピアノ三重奏曲集
中部ドイツ・ピアノ三重奏団

フリッツ・カウフマンは薬学から音楽へ転じ、ベルリンとウィーンでキールに学び、ブラームスにも認められました。マクデブルク協会コンサート指揮者、名門レーブリング合唱団指揮者として活躍し、音楽教育にも大きく貢献、地域を超えて影響を及ぼしました。カウフマンは生涯に約50曲を残し、その作風にはブラームスや彼の師キールの影響が見られます。ピアノ三重奏曲第1番ハ短調 は古典的形式に基づき、抒情的なアダージョや古風なスケルツォ、力強いフィナーレを備え、若い創意と確かな構成力を持っています。第2番変ホ長調は6年後の成熟作で、ユニゾンで力強く始まる第1楽章は動機の有機的結びつきによる一貫性と優雅な主題が特徴。悲しげな旋律に彩られた第2楽章、せわしないスケルツォ、華麗なフィナーレが続きます。演奏はMDR響の元第一コンマスを務めたアンドレアス・ハルトマン、同じくMDR響チェロ奏者ラスバッハ、マクデブルクのゲオルク・フィリップ・テレマン音楽院で講師を務めるヘンネベルクによるものです。
(ナクソス・ジャパン)

ラインハルト・カイザー(1674-1739):歌劇《愉快な欺瞞、または、ヴェネツィアの謝肉祭》(2枚組)
イラ・ホッフマン(指揮)バロックヴェルク・ハンブルク(古楽器使用)

【18世紀初頭のオペラ作曲家カイザーのドイツ語によるオペラを最新校訂譜による充実の演奏で!】
盛期ドイツ・バロックのオペラ作曲家として知られるラインハルト・カイザーは、ヴァイセンフェルス地方トイヒェルンに、オルガニストを父親として生まれ、11歳からライプツィヒのトーマス学校でシェッレやクーナウの薫陶を受けました。1694年にブラウンシュヴァイク歌劇場でオペラ作曲家としてのキャリアをスタートさせた彼は、3年後にはハンブルクに移住し、歌劇場の首席作曲家や大聖堂のカントルなど様々な役職を歴任。作曲家人生の大半をこの町で過ごします。聴衆の趣味を熟知していたカイザーは、市の歌劇場のために100に及ぶ歌劇を作曲し、大変な人気を博してテレマンやヘンデルと並ぶ巨匠と讃えられました。彼の没後、作品は徐々に忘れられてしまったものの、20世紀後半から始まる古楽復興と共に再評価され、現在では数多くのオペラが上演・録音されるようになっています。
1707年にハンブルクで上演された歌劇《愉快な欺瞞、またはヴェネツィアの謝肉祭》は聴衆から熱狂的な支持を集め、その後24年という当時としては異例なほど長期に渡って再上演が繰り返されました。台本は、フランスの作曲家カンプラの有名なオペラ=バレ《ヴェネツィアの謝肉祭》のフランス語台本をもとにザクセン=ヴァイセンフェルス公爵の秘書官ヨハン・アウグスト・マイスターがドイツ語に翻訳・翻案したもの。ヴェネツィアの謝肉祭の夜を舞台に、間違った相手に恋をするものの、最終的に元に戻って愛を確かめる2組のカップルを軸に展開するという、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》と似た筋書きです。いかにもヴェネツィア風と感じられるオリエント趣味の印象的な序曲から始まり、その後はイタリア人の恋人たちの恋のやり取りにドイツから来た王子と王女の恋愛沙汰まで加わったドタバタ劇となり、復讐、疑念、嫉妬、果ては人殺しといった要素が盛り込まれ、多くの登場人物が複雑に入り組んで展開します。各人物に割り当てられるアリアには場面に沿った美しい旋律が与えられ、時折現れる重唱や、ヴェネツィア風の舞曲も良いアクセント。歌詞にはドイツ語とイタリア語に、当時ハンブルクで話されていた方言が入り交じり、音楽もフランス、イタリア、ドイツ、オリエントといった多種多様な要素を取り込んだ極めて興味深い作品となっています。
この録音の主な資料となっているのは、1708年の上演に用いられたと見られる楽譜です。長らく紛失したと考えられていたこの楽譜は、戦争により東欧に持ち去られた後、1991年にハンブルクに戻りました。84ページに及ぶ楽譜に32曲のアリア、4曲の二重唱、1つの合唱が含まれていますが、欠落部分は、この録音の指揮者のイラ・ホッフマンが音楽学者の協力の下、補筆・再構成し、演奏用の校訂譜を準備しました。バーゼル・スコラ・カントールムで学び、現在はドイツを中心にバロック・オペラの分野で活躍するイスラエル出身の指揮者、チェンバロ奏者のホッフマンが2007年に結成したバロックヴェルク・ハンブルクは、主にハンブルクで上演されたバロック時代の舞台作品を主要レパートリーとしています。この録音では、ハンブルクとゆかりの深い実力派歌手たちとともに、300年ぶりによみがえったカイザーの歌劇を色彩豊かな演奏で生き生きと聴かせてくれています。
(ナクソス・ジャパン)

ヨーゼフ・ウムシュタット(1711-1762):3つのチェンバロ協奏曲、2つのフルート協奏曲
アンサンブル・クリンゲクンスト(古楽器使用)、ジークリンデ・グレシンガー(フラウト・トラヴェルソ)、マヤ・ミヤトヴィッチ(チェンバロ)

【18世紀のウィーン音楽のスペシャリストたちによる知られざる作曲家ウムシュタットの協奏曲集!】
1711年、ウィーンに生まれたヨーゼフ・ウムシュタットは、10代半ばから音楽教育機関として知られたスロヴァキアのトルナヴァにあるイエズス会の学校に通いながら、エステルハージ家に重用され、一族お抱えの音楽家として活躍。ハプスブルク家の名門貴族ディートリヒシュタイン家の礼拝堂楽長や、ドレスデン楽長を経て、1752年にバンベルクの司教領主の宮廷作曲家兼楽長の職に就き、死去するまでその地位にありました。オラトリオ、ミサ曲などの教会音楽を中心に、歌劇や室内楽、協奏曲、管弦楽曲を数多く作曲し、その作品の楽譜は、ドイツ、オーストリア、チェコ、ハンガリー、そしてアメリカのアーカイヴに残されていますが、現在ではほとんど取り上げられることがなく、忘れられた作曲家となっています。この録音はそうしたウムシュタットのチェンバロ協奏曲とフルート協奏曲をまとめて収録した貴重なアルバムです。
彼のチェンバロ協奏曲は、18世紀半ばの時代の趣味に即した華やかな旋律と技巧性が目立つギャラントな様式を基本としつつ、時に多感様式の傾向を見せるところから、先行作品であるヨハン・ゼバスティアン・バッハの対位法的な作品よりも、同世代のヴィルヘルム・フリーデマンやカール・フィリップ・エマヌエルといったバッハの息子たちと近い作風を見せています。フルート協奏曲もフラウト・トラヴェルソの特性を生かした甘美な旋律が特徴的ながら、特に激しい音の跳躍やリズム、技巧的なパッセージが登場するなど、やはり多感様式の特徴を併せ持っています。チェンバロ協奏曲3曲は世界初録音、フルート協奏曲は古楽器による世界初録音となっていますが、これまでほとんど取り上げられてこなかったことが不思議に思えるほど魅力のある作品群です。2009年にジークリンデ・グレシンガーとマヤ・ミヤトヴィッチによって設立された「クリンゲクンスト」は、現在では忘れられた17~18世紀音楽を探求する古楽アンサンブルで、特にマリア・テレジア時代のウィーン音楽の再発見に力を注いでいます。グレシンガーは、バルトルト・クイケンらに師事したフルート奏者で、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスやオルフェオ・バロック・オーケストラなど有名な古楽オーケストラで首席を務めています。ヘルツェゴヴィナ出身、ヴォルフガング・グリュクサムに師事したマヤ・ミヤトヴィッチは、古楽だけでなく、前衛音楽も活動の中心とするチェンバロ奏者で、現代作曲家たちとのコラボレーションにより数多くの新作初演を行っています。チェンバロ協奏曲のカデンツァは彼女の作品です。

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カテゴリ : ニューリリース

掲載: 2025年12月04日 15:30