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新日本プロレスでは「練習してなんぼ」、強さを求めたアントニオ猪木の申し子たちが語る昭和の道場スピリット

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プロレスといえば鍛え上げられた肉体に、時には空中を舞う派手な技。ダメージを受けながらも何度でも立ち上がる選手の姿に、胸を熱くするファンも多いことだろう。エンタメたるプロレスを成立させるには、もちろん道場での厳しい鍛錬は欠かせない。今回ご紹介する「アントニオ猪木と新日本『道場』伝説」は、新日本プロレスの創業者・アントニオ猪木とその道場から輩出されたレスラーたちにまつわる“過激なプロレス”の舞台裏を明かした一冊だ。

●藤原喜明が「すごい」と思わせるためにやったこと

坊主頭のいかつい風貌に、180cmを超える大きなガタイ。昭和の新日本プロレス道場を語る上で欠かすことのできないレスラーといえば藤原喜明だ。藤原のデビューは新日本プロレスが旗揚げした1972年の11月。しかし、その後11年以上にわたってスポットライトとは無縁のレスラー人生を歩むことになる。

それでも藤原は腐らず、道場でひたすら関節技を研究し技術を磨き続けた。そしてその技術は道場内でも一目置かれていたという。じつは当時、道場で連日寝技のスパーリングをやっていたのは藤原ただひとり。84年頃から関節技の技術がファンの間で注目され始めるまで、黙々と関節技に打ち込む藤原は“絶滅危惧種”とされていた。

それでもひたすらに強さを磨いたのは、何か一つのことにハマるとそればかり追求するという彼の性格もあるが、「道場で生き抜くため」だったとも藤原は語っている。

「自分の居場所をつくるには強くなるしかない。だから練習したんだよ。(中略)手段はなんでもよくて、とにかく『こいつはすごいな』『危ないな』と思わせなければならない」 (※注)

強くなって居場所を作る。とてもカッコいい行動だが、同時に“危ないヤツ”と思わせるため「合宿所でみんなと酒を飲んだ後、夜中に包丁を持って合宿所裏の白樺の木を斬りつけた」という奇想天外なエピソードも披露していることを付け加えておこう。

●昭和のレスラーに根付いていた「猪木イズム」

そんな藤原喜明を「変わりもん」と評するのが、栗栖正伸だ。とはいえ栗栖自身も経歴を見る限り相当変わり者である。栗栖は大学卒業後単身アメリカへ渡り、働きながらジムに通いレスラーになるチャンスを窺っていた。するとある日、勤務先の2軒隣にあるレストランオーナーから猪木を紹介され、新日本プロレスに合流することになったのだ。

異例のルートで新日本プロレスに入ることになった栗栖は、最初の頃はイジメにもあったという。時には「ビール瓶を叩き割って、それで刺してやろうと思った」と明かす栗栖だが、新日本で育ったことは「幸せ」だとも語る。

ナマクラはいないよね。そういう意味ではみんな「レスラーは練習してなんぼ」っていうのがわかってたから。その練習だって手抜きじゃないんだよ。 (※注)

「練習してなんぼ」を道場の皆に植え付けたのは、他でもないアントニオ猪木だ。栗栖曰く、猪木はどれだけ忙しくてもトレーニングだけは欠かさなかった。夜中でも、試合が終わった後でもとにかく練習。だからこそあそこまでのレスラーになったと、栗栖は説明している。

●昭和末期には一転、衰退の一途に……

しかしその「猪木イズム」も、昭和末期になると道場から姿を消しつつあったようだ。

『昭和の新日本道場は厳しかった』とかよく言われてるでしょ。でも、これは今だから言えるというか、当時なら口が裂けても言えなかったことだけど、昭和末期の新日本道場は若手にキツイことをやらせるだけで、ちょっと上になるとやらなくなるという、道場としてはダメな時期でもあったと思うんだよね。 (※注)

そう語るのは、昭和最後の年となった昭和63年にデビューした鈴木みのる。彼は新日本が腐りかけていた時期に入門し、デビュー後1年も経たずにUWFへ移籍している。

しかし、かつての“ストロングスタイル”が失われていったのは何も新日本プロレスの問題だけではない。元『週刊プロレス』編集長のターザン山本は、かつての“道場論”は今や通用しないと言う。昭和の新日本道場では入門すると即丸坊主、合宿所で寝食は保障されるが先輩に徹底的にしごかれた。しかしそんな道場は、現代の若者気質にはそぐわない。今それをやれば、すぐに辞めていく若者が後を絶たないだろう。

時代と共に消えていった“クレイジー”で“クソ真面目”な昭和の道場スピリット。本書でその一端に触れてみてはいかがだろうか。

※注)佐山聡、藤原喜明、木村健悟、藤波辰爾、栗栖正伸 ほか「アントニオ猪木と新日本「道場」最強伝説」より引用

●これを見ずしてアントニオ猪木は語れない!!

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タグ : レビュー・コラム

掲載: 2025年12月07日 17:18