Date Course Pentagon Royal Garden(3)
ポリグルーヴも変拍子も踊れる、という確信があった。
――そうすると、いちばん初めのライブからクラブでやったんですか?
それが新宿ピットイン(笑)。笑っちゃうでしょ。それから吉祥寺スターパインズカフェ、徐々に行くいくわけですよ(笑)。そしてイエローに進出して、さらにミルク、この間クアトロで、今度はリキッドルームと、まあ、絵に描いたような展開で。
――登りつめているではないですか。
いや、単に大箱になってるってだけ。でも、お客さんはいまや熱狂的に踊っていると言っていい状況ですね。1曲目のあのポリグルーヴから。踊りづらい曲ばかりなんですけどね。アルバムに準じた構成なんですが、2曲目はポリリズムだし、3曲目は7拍子。常道的な意味でのクラブ・ミュージックとは全然違うものだけど、僕はこれで踊れるという確信があって始めたから。と同時に、音楽家のメンタリティな態度として、「これお前らどうだ、踊りづらいだろう」という気持ちは一切ない。そんな気持ちで音楽はやりたくないし。俺もこんな楽しく踊れるんだから、みんなも踊れるはずだし、踊ってくれ、っていう気持ちでやってる。メンバーもそうだしね。僕、昔ティポグラフィカってバンドやってたけど、あのバンドには高踏的な態度ってあったと思うんですよ。どうだ、真似できねえだろう、分からねえだろう、って。そういうの、嫌になったんですよ。
――実際、ティポグラフィカの時の菊地さんはとても難しそうな感じがしましたよ。
僕は、ティポにいたとき、スポークスマンみたいなことやってて、すごく高踏的で、分かりづらくて、剃刀のようなイメージになっちゃってましたけど、実は小さいときから単にディスコ好きでクラブ三昧、踊りが大好きな奴で(笑)。ただ、ほんとうのガラージュとかいいものは別に僕がやらなくても巧い人がいるわけで、自分ができることでリスペクトしてるブラック・ミュージックとかダンスホール・ミュージックの歴史に何かを提供したいな、と思ったんですよ。だからフロアがNOだったら失敗で、YESって言ってくれているからできるんだけど、でも半分YESで、2ちゃんねるとかで議論になったりもしてるんですけどね。踊れる、踊れないで。
──いまの、特にクラブ系リスナーの音楽の良し悪しの判断は、自分の耳に忠実だし、とても直観的で、それは基本的にいい傾向だと思うですけど、そういうところに、菊地さんのようなキャリアを積んだミュージシャンが積極的に与していくのは、なかなか大変な面もあるんではないかと思うんですが。
でも、キャリアが長いと潜在化されてるものが抑圧されている時間も長いわけですよ。例えばティポグラフィカの頃に、フロア対応のものやりたいとか、小さい頃からディスコ好きだしとか、そういう潜在化していた気持ちが、ティポグラフィカなくなって、グラウンド・ゼロなくなって、あとスパンク・ハッピーもバンドのメンバーがいなくなって、真っさらな気持ちになったんですよ。で、じゃあ、何かやろうと、いよいよ自分のリーダー・バンドやるんだ、というときに、踊れるものをやって、踊ってる人たちと一緒に音楽を演奏したいな、というのが、原型にあるんですよ。
90年代って、リズムに関して、すごく日本人は発達しましたよね。黒人とそんな変わんないくらいまで来ましたよね。アフロ的なグルーヴは当たり前だし、ヒップホップでもラッパ我リヤとかシャカゾンビとか、ラップがなまってて、あれってアフロ的ななまりなんですよね。凄い。僕は、クラブ・ミュージックを聴きにきている子たちのリズム感って信じているから、だから大胆になれた、っていうのもありますよ。