Francesco Tristano Schlime
「結局、生きている音楽をやる、ということだよね」
国際的コンクールでも優勝するなど、クラシック・ピアニストとして華々しい活躍を続けながら、一方では、ピアノでデリック・メイやジェフ・ミルズ等の曲をカヴァし、更にはカール・クレイグのインナーゾーン・オーケストラにも参加するなど、まさに21世紀のピアニストと呼ぶにふさわしいフランチェスコ・トリスターノ・シュリメ。彼はまた、ピアニストのラーミ・カリーフェ及びパーカッショニストのエイメリック・ウェストリッヒとのトリオ、アウフガングでも、独自のテクノ的ミニマル・ミュージックを探求している。
そんなシュリメの目指している世界をよりはっきりと理解できたのが、先日観たソロ・ピアノ・コンサートだった。プログラムはバッハの曲だけで組まれていたのだが、アンコールの最後に突然、テクノ風のオリジナル曲を披露。しかしその一連の音の流れには、なんの違和感もなく、見事にオーガニックな円還が描かれていた。すべて終わった時、バッハの曲さえもシュリメのオリジナルであるかのような錯覚に陥ったほどだ。
「演奏全体をどう組み立てるかによって聴衆へのストーリーの伝わり方が違ってくるので、いつもプログラムには細心の注意を払うんだ。ホールの音響、ピアノの銘柄、会場の温度なども考慮する。今回のバッハ・プログラムでは、各楽曲の終わりと頭の調性を考慮し、それらのつながりにも十分配慮した」と物語の描き方に対する繊細なセンスを示し、更にバッハへの愛を熱く語る。
「バッハは複雑であり、シンプルでもある。各声部が等しく重要であるという点が最大の魅力だと思う。つまり、民主主義的なんだ。と同時に、演奏者の感性にゆだねられる部分が大きい。そして、ミニマリズム的要素をいろいろと持っている点も僕にとっては大事だ」
バッハの曲とアンコールで披露したミニマルな自作曲が一直線上の物語に見えたのも当然である。
「そうなんだ。博物館に置かれているような芸術品とは違い、僕の中ではクラシック音楽は今も生きているし、テクノやジャズとも隔たりはない。それらはシームレスにつながっている。バッハのスピリットもそういう永続性、現代性と共にある。結局、生きている音楽をやる、ということだよね」
こういうシュリメの感性は、あらゆる音楽が等価なものとして身辺に溢れる90年代に思春期を送り(81年、ルクセンブルグ生まれ)、「自宅にトルコとか南米とか外国のミュージシャンたちを招き入れてエスニック音楽を楽しんでいた」という自由な母との暮らしの中で育まれたものだろう。
秋には、再び独自のテクノ・ミュージックに挑んだ新しいソロ・アルバムも登場予定とか。プロデュースしたのは、シュリメが「電子音楽/テクノの土俵に立ちながら、違う世界、違うレヴェルの音楽を目指している音楽家」と畏敬するカール・クレイグだ。