Brian Bromberg
〈テクニックは表現力の源である〉ということを教えてくれるのはブライアン・ブロンバーグの『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』というアルバムだ。
ベーシストがギタリストの曲をギターレスでカヴァーすることは大きなチャレンジであろう。しかも、ドラムにあの、ヴィニー・カリウタを迎えてのたった2人の録音だ。もちろんオーヴァーダビングはしてあるけれど、オリジナルのパワーと深遠なるオーラを新たな形で表現するのは並大抵のことではない。本作に関してブライアンからいくつかのメッセージを貰うことができた。
なぜジミの楽曲を取り上げたかについては「それはジミが20世紀の最も影響力のあるミュージシャンであるから、そしてジャンルも肌の色も超えたアーティストであるから、また、子供の頃、兄がジミのすべてのアルバムをもっていて、私もそれをよく聴いていたし、彼に憧れていた…」ということ。そう、やはりブライアンのミュージシャンになる出発点のひとつがジミ・ヘンなのだ。ジミの哲学がベーシックな部分を形成するブライアンであるからこそ、テクニックを超えた表現力を持つアルバムが出来上がったのであろう。また、なぜギタリストなしで制作したかに関しては「私自身の解釈を優先したかったから。そして〈私〉がジミの音楽をプレイしたかったから」ということだ。これは、ブライアンのわがままでもあり信念でもあるだろう。このわがままと信念はCDを聴き進むごとにつぶさに感じることができるし、〈それ〉を伝えることこそがこのアルバムの存在意義であろう。
そしてこのアルバムで苦労した点についてはこんな風に語ってくれた。「それは〈正直〉であることだ。レコーディングのトリックなども一切使わずインプロバイズすることだ」。
もう一つ注目すべきはやはり、ジミの曲を元に〈インプロバイズ〉していること。それはジャズミュージシャンであることの証である。ブライアンの演奏を聴けば、彼がいかにジミからインスパイアされているかがわかるだろう。そしてそのジミの曲がもつエネルギーも同時に感じることが出来るのだ。
最後にブライアンはこんなメッセージを書いてくれた。「私の演奏を聴くのではなく、感じて欲しい。私は、ベースを弾いているのではなくスト-リーを語っているのだ」つまり、このアルバムはあくまでもミュージシャン、ブライアン・ブロンバーグのものであるということだ。ベースでジミ・ヘンドリックスをカバーするということは〈手段〉であるが、〈目的〉は違ったところにあったのだ。
アルバムではブライアンのジミを介してのスト-リー・テラーぶりがたっぷりと楽しめる。テクニックを超えたメッセージがそこにはある。
前言撤回。「テクニックはミュージシャンがスト-リーを語るのに不可欠なものである」