伊藤君子&高瀬アキ
日本語と音楽の不自由な関係性を見つめ直した30年越しのコラボ
その言葉は、8時間の時差があるベルリンからskypeを通して雑音混じりになったりクリアに聞こえたりしながらも、明確な〈意志〉をむき出しにして日本へ届けられた。
「ジャズにはなっていないでしょ? ぜんぜんジャズじゃないもん。単に、1人の歌を歌う人と、曲を作る人が一緒になって、言葉を音にどうやって乗せたら自分たちにとって〈おもしろい〉と思えるものになるかを、やってみただけなんですよ」
こう語った高瀬アキは、80年代にヨーロッパへ渡り、ベルリンを拠点に活動を続けているピアニスト。とくに即興音楽シーンにおいて、マリア・ジョアンのようなヴォイス・パフォーマーや、ルイ・スクラヴィス、ルディ・マハール、アレックス・フォン・シュリッペンバッハといった個性的なアーティストたちとデュオを行なうなど、ジャンルやスタイルを問わない柔軟にしてアグレッシヴな姿勢とプレイが高く評価されている〈日本の至宝〉のひとりだ。
そして〈1人の歌を歌う人〉と高瀬が呼んだ人=伊藤君子もまた、80年代からニューヨークのジャズクラブに出演するなど、世界を舞台にコンテンポラリーなジャズを歌いこなすヴォーカリストとして認められた〈日本の至宝〉のひとり。その出会いは、伊藤によると「81年にABCホールで私がリサイタルを開いた時、彼女が弦楽四重奏曲のアレンジをして、ピアノを弾いてくれた」頃よりも遡る。
そんな2人は、98年と99年にデュオでヨーロッパ・ツアーを行なうなど、高瀬がベルリンに居を移した後も定期的に交流を持ち続けていた。そして会えば「なにかおもしろいことをやりたいね」と互いに刺激し合い、ライヴやアルバムについての〈案〉を語り合っていたそうだ。その興味の核心は、日本語で音楽を作ること。「どのジャンルに関わらず、日本人が日本語の歌を歌うというのは自然なこと」という高瀬の主張と、「伊藤君子という、世間が認知しているアーティストのイメージとはちょっと違う角度から光を当てるような、そんな場所に引っ張り出してもらいたい」という伊藤の湧きあがる欲求が合流し、熟成して、ついに実りの時期を迎えた。
高瀬は「詩と音、言葉と音の関係なんですよ。つまり、作曲の段階でいかに〈言葉が言葉として機能できるような音の並び方にするか〉がいちばん苦労したところ。白石かずこさん、多和田葉子さんという大好きな詩人・作家たちの言葉が活きる形で音を作らなきゃ、意味が無いわけですから」とスタジオに入るまでの心象を語り、伊藤は「このアルバムを高瀬アキと作ってみて、日本語がいかに難しい言語かを改めて思い知らされました。それだけでなく、英語の歌を含めて、自分が安易に歌を歌っていたんじゃないかと考えさせられもしたので、自分にとっての〈怖い世界〉に飛び込まなければ手に入れられないものを得たような、貴重な経験になりました」とスタジオを出た時の心象を語った。その心象が交差するポイントでは、2人の〈至宝〉が引き合わせた、新たな音と言葉のマリアージュを楽しむことができる。