Simone Dinnerstein
©Lisa-Marie Mazzucco
自由に、しかし美しい飛跡を描くバッハを
シモーヌ・ディナースタインがソロ・ピアニストとして注目を集めたのは、2005年に自主制作で録音されたバッハ《ゴルトベルク変奏曲》だった。録音後のコンサート成功がきっかけで【テラーク】から正式リリース、その緩急ものびやかな、ニュアンス豊かに語りかけてくるバッハは彼女の名を一躍高めた。智情の豊かな渦を優しく乗りこなした雄弁、とでも言おうか。今夏に来日した彼女と実際にお会いして、なるほどそのバッハ演奏は人柄を反映しているものかとあらためて得心がいった。
バッハとベートーヴェン、現代曲をカップリングした『ベルリン・コンサート』【テラーク】に続いて、【ソニー】への移籍第1弾アルバムが録音済。ベルリン州立歌劇場室内管弦楽団との共演でピアノ協奏曲第1・5番、それに《イギリス組曲第3番》など独奏曲の数々を併せた新譜でも、バッハの豊かな世界を飛翔する。
「宗教的な人間でなくとも、バッハを弾くことで世界観が拡げられると思いますし、その音楽を通して人間の多彩な感情をより深く知ることができるはず。そこから豊かな表情を引き出したいと思って弾いています。今回の共演では敢えて指揮者を置かず、まず私がどのようにフレーズをつくりたいのかを実際に弾いて、それを聴いた彼らも弾いてみて…と直接にコンセプトを話し合うことを何度も繰り返して音楽をつくっていきました」
穏和なまなざしにも緩急自在な生命力が満ちる《ゴルトベルク》もそうだったし、彼女のバッハは堅苦しさと無縁の自由を飛びながら、しかし奔放ではなく美しい飛跡を描く。「父は画家なんですが、私が子供の頃、よく私を美術館に連れていって『この絵を真似て描いてごらん』と模写をさせたものです。絵画と音楽には共通するところがあって、たとえば人体を描く時にも、軸が通っているかどうか、全体の構図はどうか、あるいは光の具合、コントラスト、筆づかい…これらはすべて音楽にもあるものです。私が父の前でピアノを弾くと、父は『いや、線が1本きこえないな』という風に画家としての感覚でコメントを述べてくれる。そうやって育って来たので、私にとって音楽は技術だけではなく、芸術としてのさらに広い視野を持つものだと思ってきましたね」
自由に、しかし確かに。「13年も共演してベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集【テラーク】も一緒に録音したズイル・ベイリーとは、コンサートはとても上手くいくのにリハーサルは喧嘩ばっかり(笑)」と自他共に厳しい彼女。
「次の録音はバッハのパルティータ第1・2番とシューベルトのピアノ・ソナタ第21番変ロ長調を考えています。シューベルトは雲がちょっと動くと光の加減が変わってゆくような、実に繊細でソフトな和声の動きがありますね。澄んで明るいその音楽を理解するためには、弾き手自身がよく聴き、広い視野を持たなければいけない。正にバッハと同じですね」