インタビュー

Oval

生成するエクスペリメンタル・ポップ


photo:Megumi Nakaoka

エレクトロニカと呼ばれてきた電子音楽の方法意識を失わず、というよりも、あたうかぎり押し進めたにもかかわらず、作品すべてが〈音楽〉として聴くべきものであった前作までのオヴァルは、90年代の音楽状況と無縁ではなかった。音楽には実験を実践できる空間がまだまだのこっていて、その部分が音楽史のリニアな発展を保証していたのだとしたら、90年代を終えて、オヴァルがなりをひそめた(かに見えた)のはムリからぬことである。私はてっきり、マーカス・ポップはオヴァルのミッションを終えたとばかり思っていた。私は9年ぶりの新作『o』が届いたとき、驚くよりも正直とまどう気持ちが先走り、その気持ちを抱えたまま『o』を聴いてまたとまどった。そこには自己増殖するような電子音響も、トラップのようなスキップはないかわりに、ギターやドラムの具体音がある種のプロセスを経て周到に配置されており、ひとことでいえば巧妙に構成(コンポーズ)していた。読者よ、それを「プロトゥールス以降のフツーのやりかたじゃん!」と早計しないでいただきたい。オヴァルはソフトウェアのグリッドに沿って楽曲を走らせると同時にエレメントを積み上げながら音の奥行きを表現するのだけれど、その手つきにはエレクトロニカのクリシェであるレイヤー構造という言葉にはなじまないブリコーラジュとしての〈粗さ〉があり、トリートメントと真逆のラフさは、楽曲に異化効果をおよぼすだけでなく、具体音と合成音の差異を際だたせ、リスナーの立ち位置さえ危うくする。アダム・ピアースを彷彿するバンド・アンサンブルの枠から意図的に外された音が逆説的にオヴァルのかすかだが拭えない方法意識を浮上させ、2010年のいまこの音が発せられる意味を問うているのだとしたら、私(たち)はサンプリング・ソースをチョップしたスコット・ヘレンや、ヤン・イェリネクのあの『Loop-Finding-Jazz-Records』まで射程に入れざるをえず、それらを通過し9年間雌伏したマーカス・ポップの真意を聴き逃すわけにはいかない。

私はそう思いライヴにいった。渋谷慶一郎と蓮沼執太の共演を得て、その日の代官山UNITはかなり混み合っていたが、マーカスがラップトップを前にすると会場は静まりかえった。マーカスを目の前に聴いた『o』のライヴ・ヴァージョンは、これまでのオヴァルの作品ではもっとも再現性の高い音楽であるにもかかわらず(「であるからこそ」といいかえてもいい)、CDとのちがいを指摘するのは容易ではなかったが、複数に分裂した不可視のマーカス・ポップがオヴァルというユニットでスポンテニアスに合奏するのを目の当たりにしたようなゆらぐダイナミズムがあった。この感覚はなにかに似ていると思い、翌日のみじかい会見で「最近気になっている音楽はありますか?」と質問すると、彼は「影響を受けたわけではないが」と前置きしてフライング・ロータスを上げた。

カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2011年01月18日 16:48

更新: 2011年01月18日 17:10

ソース: intoxicate vol.89 (2010年12月20日発行)

interview & text : 南部真里