インタビュー

Manu Chao

photo : Shinya Matsuyama

「僕は活動家(Activist)と呼ばれたい」
────現在のポップ・ミュージック・シーンで最も影響力のある一人、マヌ・チャオ

10月に8年ぶりの来日公演を行ったマヌ・チャオは、この10年ほど、僕が最もインタヴューしたいと思ってきた人物である。なぜなら、彼こそは、現在のポップ・ミュージック・シーンで最も影響力のある一人だと思うから。それはたとえば、60〜70年代のジョン・レノン、あるいは80年代以降のボブ・マーリーにも匹敵すると思う。ただ単に、音楽的側面だけでなく、社会と直接関わり、世界に向けて自らの生の言葉を発信してゆく表現者として、今彼以上にポジティヴな存在がいるだろうか。アメリカの巨大資本を親玉とする新自由主義経済に最も早くから反対の声を上げてきた(メキシコのサパティスタ民族解放軍やフランスのATTACへの支持など)ことは、熱心なファンの間ではよく知られてきた。

音楽面では、なんといっても、90年代後半以降(つまりマノ・ネグラを解散してスペインを拠点にソロ活動を開始して以降)彼がずっと熱心に追究しヴァリエイションを広げてきた2ビート・サウンドが、中南米を中心に近年世界中を席巻してきたレゲエ/クンビア・ベースの新しい音楽潮流の呼び水/核になったことが重要だ。といった見方に対しては、いろいろ異論はあるだろうが、僕はそう信じている。エレクトロやヒップホップまで巻き込んだ近年のネオ・クンビア・ムーヴメントを僕は〈貧者の2ビート〉とずっと呼んできた。常に社会的弱者/貧者への水平的視線をもって表現活動を続けてきたマヌ・チャオのサウンドと言葉が、アメリカが先導する新自由主義経済に翻弄され疲弊した中南米諸国で熱い共感を得ることは、必然だったと思う。

さて、そんな熱すぎる思いを胸に、わずか25分と限定された取材に臨んだわけだが…「僕自身は、よくわからないな(笑)…クンビア自体、いろんなタイプがあって千差万別だし。15年ほど前にメキシコから始まったロックぽいクンビアから、アルゼンチンのクンビア・ビジェーラとか、その他いろいろ出てきた。確かに僕の場合、地元の伝統音楽とロックンロールのミクスチャーというスタイルに関しては多少影響を与えたのかもしれないけど、クンビアってもっと独特な音楽だし。影響があるのかどうかは、自分ではわからない。ただ、自分の音楽があれだけ中南米のゲットーの人々に受け入れられているってことには驚きを感じている。そこに住んだこともない自分の歌が、あれほどまでに受け入れられるとは…。でも、そのおかげで、僕はあのゲットーの世界に実際に入れて、それまで知らなかった世界、文化、生活を知ることができた。つまり、僕にとっては、自分の音楽が、ああいう世界へのパスポートになったんだ」

思い込みの激しい日本人インタヴュワーに、優しく微笑みながら答えるマヌ。「まあ、クンビアと僕の音楽が2ビートで共振しあっているってことは間違いないよね。なぜここまで2ビートにこだかわるのか? それは…未だに3ビート以上が数えられないからさ(笑)。もうちょっとしたら3ビートまで行けるかもしれないね。でも、2ビートの音楽ってのはレゲエやクンビアだけでなく、基本的にはすべてのポップ・ミュージックのベースにあるものだと思うよ」

弱者に対する水平的視線や共感といった点以外に、貧しい人々の生活に浸透し得た理由、背景についてはどう考えているのか。「そういう分析は君たちジャーナリストの仕事だろう。そういうことまで自分で考えてしまうと、クリエイティヴィティの部分で新鮮味がくなってしまうしね。ただ、自分のやっていることに誇りがあるとすれば、僕のライヴにはあらゆる階層、あらゆる職業の人が集まってくることだ。ブルジョワからゲットーの人たちまで。通常、街中ではまったく別々の世界に暮らして交わることのない人々が、僕のコンサートでは分け隔てなく交わっている。そういう点は、社会的にも健全だと思うし、僕自身とても誇りに思う」

これだけいろんな意味で影響力があり、社会意識も高いのなら、直接政治にタッチして、より簡単に世界を変えられる可能性もあると思うのだが。「確かに、世界を変えたいし、世の中を少しでも良くしたいけど、だからといって政治家になるという選択はまったくないね。まず、政治家という言葉自体が大嫌いなんだ。政治家という職業は、今や地に落ちた存在だし。僕は活動家(Activist)と呼ばれたい」

ちなみに、取材の場では、ずっとマヌの傍らに、70代ぐらいの老女が座り、僕らのやりとりを微笑みながら聴いていた。きっとマヌの母親だろう。親孝行な息子!「いや、彼女は僕の親友なんだ。初めて会ったのは、サハラ砂漠の難民キャンプだった。彼女はこれまでもずっと世界中で貧しい人々を助けてきたんだ。僕らはとても親しくなり、彼女は僕のライヴに付いて、世界中を回るようになったんだ。僕らは、同じ目的を持った同志って感じだが、母親的な部分もちょっとあるかな。まあ、人生の師だね(笑)」

うーん…マヌ・チャオの世界はデカく、まだまだ奥深い。

カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2011年01月19日 16:36

更新: 2011年01月19日 16:52

ソース: intoxicate vol.89 (2010年12月20日発行)

interview & text : 松山晋也