濱瀬元彦×菊地成孔
「リスナーが成熟してきた」
────稀代の音楽理論家が15年ぶりに演奏活動を再開
菊地成孔:初めてご一緒させていただいたのは、東京大学でワタシと大谷(能生)君がやった講義(『東京大学のアルバート・アイラー』としてのちに書籍化)ですね。我々から連絡を差し上げて、来ていただけるということになって。その後、『M/D』で楽理分析をお願いして。
濱瀬元彦:『M/D』の打ち上げに呼んで下さって。この人は面白い人だなあと、大好きになって。それからちょくちょくとね。
菊地:そうですね。それで、気がついたら、「菊地さん、新しいバンド作ったんだよ」という感じでしたよね。MySpaceも出来ていたし。これはもうアルバム出しましょうよという話にどんどんなっていったんです。
濱瀬:菊地さんが初めてそう言って下さったんですよ。MySpaceに載せた音楽をお聴きになって、1曲やらせて欲しいと言って下さったじゃない?
菊地:それで、これは当然アルバム出すでしょうと……
濱瀬:いや、菊地さんだからそう言って下さるけど、今まで誰もそんなこと言ってくれなかったから。
菊地:世知辛いですからね(笑)。濱瀬先生はベーシストとして、毎晩のように仕事をしていた時期もあったわけじゃないですか?それはいつ頃がピークだったんですか?
濱瀬:70年代の後半ですね。
菊地:その後、研究活動がメインになっていかれるんですけど、まだ演奏できる状態のまま、あえて筆を折るじゃないですけど、チャーリー・パーカーの分析とか理論構築に時間を費やす、日本人で現役のプレイヤーでは唯一と断言して間違いない立場になっていく。
濱瀬:こっちからすると避けがたくそうなっていったという感じですよね。自分の音楽がその同時期の業界と折り合いが良くなかった。理解できるプレイヤーもいない。孤立して、追い詰められたような感じだった。ただ、業界に頼らずに食っていかなければいけないということは意識していたね。学校をやったり、本を書くとかね。音楽業界に依存しないで独立してやっていく。そのことはすごく自覚的にやってきた。
菊地:僕らからすると、あの人は今何をしてるんだろうと思うわけですよね。消えていく人はいっぱいいるけど、他の人みたいに、できなくなってやめちゃったんだろうとは全く思わなかったですね。その後、『ブルーノートと調性』が、『読譜と運指の本』が、『ベースライン・ブック』が、日本人の音楽家が書くありとあらゆる書物とは全く別領域の、孤独と言えばこれほど孤独なことは無い(笑)、類例の全く無い書物が届くわけです。濱瀬元彦はこれをやっていたのかと慄然とするわけですよ。で、読むと3割くらいはわかるけど、7割はわからない。でも、そこで提示されていた問題の深遠さに打たれて、この人を東大に呼ぼうとなるのが2005年ですから、だいぶ遅刻ですよね。その時にパーカーの研究をされているということも知ったんです。
濱瀬:まだ発表するという形にはなっていないですけど、そろそろまとめなきゃいかんなとは思っています。
菊地:寝かせ時というのがあるじゃないですか。飲み頃とね。寝かせ時、飲み頃というのは音楽に限らず、美に関する全般に関係していると思うんですけど、僕なんかは作ってから少し寝かせただけで出すんですけど、濱瀬先生はハードコアで(笑)ワイン並みに寝かせて、今やっと飲み頃を迎えているという印象がすごくあるんですよ。
濱瀬:うん。リスナーが成熟してきたというかね。菊地さんが大きな聴衆を持っていらっしゃることと深い関係があるような気がする。菊地さんの音楽がわかる人が僕らの音楽もわかるんだよ。
菊地:そんなことはないですよ(笑)僕のはわかりやすいですから(笑)
濱瀬:そんなことないよ。自分が持っているイメージの音楽を高度にやっている人っていないんだよ。70年代から80年代はずっとそうだった。本当の意味でマイルスに深く影響を受けた音楽を菊地さんはやっていらっしゃるじゃないですか。それはね、過去にもないの。それを聴衆が聴いているという状況は、僕らが70年〜80年代初めにやっていた頃とは全く違うんだよ。それは凄く驚きだし、喜ばしいことだよね。あの雨の中、日比谷野音(10/9のデート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン)が満杯だったじゃないですか。あれは凄いですよ。音楽も凄く良かった。
菊地:先生もいらしていたということですよね、雨合羽着て(笑)
濱瀬:その状況と僕らの音楽が受け入れられるという状況はたぶん同じことを指していると思う。自分がこうやりたいから、こうやる、という当たり前のことが本当に無いんだよ。みんな自分のやりたいことをやっていると思っているかもしれないけれどもね。
菊地:とはいえやっぱりね、こんなことを濱瀬先生に言うのもアレなんですけど(笑)闘争ですよ、本当に。
濱瀬:闘いだよね。
菊地:僕はおそらく世界で最初に、アコースティック・ジャズのカルテットでの演奏をコンピュータで編集して発表したんですけど、反応ゼロでしたから(笑)。でもそれでめげてやめてしまうのではなく、これは闘いだと思ってやり続けてやり続けているんです。
濱瀬:やり続けたところが偉いね(笑)。僕は、ダメだな、やっても誰にもわからないなという感じだった。でも、僕は自分の作品のレベルに不満はなかったわけです。納得のいくものは作ったので、別にやらなくてもいいんですよ。
菊地:〈早過ぎた才能〉と説明される何かがあったとして、それは市場に出ても売れなかったり、飲んでも味がわからなかったりして、蔵に戻るわけですが(笑)、やがてそれが熟成を経て美味しくなってまた出てきた時にみんな喜びましたとさ、という話があったとしてね。僕は一回出して駄目でも、飲んでくれって言い続けるタイプなんですよ。
濱瀬:偉いなあ。
菊地:いや偉くないと思います(笑)。濱瀬先生がエレガントなんですよ。
濱瀬:いやいや(笑)淡白過ぎるんだよ。
菊地:僕はやらないと死ぬくらいの感じだったからやり続けていたんですけど、それだと本当にその人の才能が早過ぎたのか、状況が熟したのかわからなくなるんですよね。だけど濱瀬先生は僕みたいにガツガツやらないから、状況的査定がはっきりとできると思うんです。死者の作品は熟成するけど、生者の作品が熟成するのかという問題が僕は非常に重要だと思っていて、それを僕よりも一世代上の濱瀬先生が実践されていることに喜びというか、痛快感があるんですよ。
(2010/12/3 渋谷店でのトークイヴェントより )
濱瀬元彦 E.L.F Ensemble
菊地成孔をゲストに迎えた濱瀬元彦 E.L.F Ensembleは、濱瀬元彦の音楽を精緻に実現するために'08年に結成された。従来、生演奏では演奏不可能であったサウンドを同期、シーケンサー等を一切使わずに演奏するだけでなく、濱瀬のインプロヴィゼイションと組合わさる事により音楽の未踏の領域をライヴ空間で実現する。