平賀マリカ
ジャズ・シンガーの大先輩に呼び覚まされた“歌”の不変的な本質
──「ナット・キング・コールに、ピュアな形で歌に向き合いなさいって、教えられたような気がします」
平賀マリカの1年半ぶりとなる新作は、ナット・キング・コールのトリビュート。カーペンターズのレパートリーを取り上げた前作『シング・ワンス・モア』に続く、ヴォーカル・トリビュートの続編となった。
「これまでの自分の活動を振り返ってみて、やったことがないことってなにかなぁって、考えてみたんです。スタッフと話し合っていたら、いろんなアイデアが出たんですけれど、そのなかに『ギターを中心にしたアルバムって作ってなかったよね?』という意見があって、私も『ギターと歌なんてシブくていいわ』って(笑)」
アイデアがドラムレスのギター・トリオへと発展していくなかで、当然のように浮かんできたのが、ナット・キング・コールの名前。1939年に結成されたトリオは、彼の歌とピアノ、そしてギターとベースという編成で、スウィング・ジャズのひとつの〈規範〉とされるようなサウンドを作り上げたとして伝えられている。
「クラシカル(=上質)な雰囲気と懐かしさを併せもちながら、美空ひばりさんがトリビュートされていたように日本人にも馴染み深いナット・キング・コールのレパートリーを、私なりに新たな解釈を加えて歌い継いでみるというアイデアは、とても刺激的な内容になるんじゃないかなと思ったんです」
そうは言っても、トリビュートというテーマを掲げたアルバム作りは、一筋縄でいくものではない。平賀マリカは2007年に、マンハッタン・ジャズ・クインテットを迎えた『クロース・トゥ・バカラック』でバート・バカラックを、前作では前述のようにカーペンターズ(具体的にはカレン・カーペンター)を、それぞれトリビュートした〈経験者〉だ。その彼女が、「これまでのどれとも今回は違っていた」とむづかしさを語る。
「まず、バカラックさんは作曲家ですから、素材として彼の曲を取り上げて、そこに自分の解釈を自由に入れることができる。だから、それほどむずかしく考えなくてもよかったんです。でも、カーペンターズの場合は、同じシンガーとしての立ち位置を意識しないわけにはいかなかった。同性ということもあるし、とくに大ヒット曲は、カレンの歌とどうしても直接、比較されますからね。そうなるとツラいからどうしよう、って……」
しかしこの問題は、ナット・キング・コールが男性歌手であり、オリジナルのキーも違うことが幸いして、彼女が自分の魅力をナット・キング・コールと融和させるのにさほど大きな障害とはならずに済んだ。
こうしてアルバムの企画は進んでいったが、そのなかで平賀マリカは、さらに越えなければならない2つのカベを前にしていた。1つは、録音メンバーの人選。
「ナット・キング・コールのトリビュートをやるなら、どこでレコーディングをするのが最適なのかを、まず考えてみました。そうなると必然的にニューヨークが第一候補にあがって、その流れで〈ニューヨーク録音に最適のメンバーは誰か〉を考えました」
中心となるギタリストは、マーク・ホイットフィールドに白羽の矢が立った。コンテンポラリー・トランペット界の貴公子、クリス・ボッティのワールド・ツアーにレギュラーとして参加している、ニューヨークでも屈指の実力派だ。ピアノのデヴィッド・ヘイゼルタインは、彼がグラント・スチュワート(ts)のメンバーで来日した際に、共演をしたことがあるという間柄。彼らを核にして、ナット・キング・コールのマインドを現代に蘇らせる適任者が選ばれていった。
もう1つのカベは、ナット・キング・コールの代名詞とも言うべき、ドラムレスの編成によって生じる違和感。
「ドラムがいない分、歌だけがドーンと前に出てしまいがちになるので、それをどう調整するかに神経を使いました。ある意味で、ヴォーカリストとしての自分が〈丸裸〉になっちゃうわけですから(笑)、バックとのバランスに気を配ったり、ピッチが少しでも甘くならないように注意したり……。そういう面でも、今回は初めての経験で、勉強になりましたね」
平賀マリカがこのように向き合ったナット・キング・コール。彼の〈遺産〉を受け継ぎ、現代の作品として蘇らせることは、ジャズ・ヴォーカルにとってどんな意味をもっているのだろうか?
「メロディの美しさはもちろん、英語がネイティヴではない日本人にも受け入れられやすいヴォーカリストとしての才能と魅力を備えたナット・キング・コールの業績こそ、私が歌う際の基礎、ベーシックとすべきものなんだなって、改めて思いました。いまでは経験を重ねてむずかしい歌も歌えるようになったけど、それを誇るのではなく、ピュアな形で歌に向き合いなさいって、彼に教えられたような気がします」