インタビュー

踊ってばかりの国 『SEBULBA』

 

レコーディング終了後にメンバーが脱退するなど、変化の時を迎えている彼ら。個々のセンスが存分に発揮されたこの新作で、次なるステップを踏み出す!

 

 

神戸で生まれたロックンロール共和国、踊ってばかりの国。〈サイケデリック〉と表現されることも多い彼らだが、その突き抜けたポップセンスと微熱を帯びた白昼夢サウンドが注目を集めるなか、待望のファースト・フル・アルバム『SEBULBA』が完成した。今回の作品には、各メンバーのこだわりや実験がこれまで以上に大きく反映されているようだ。

「ドラムを2台、曲によって使い分けてみたんです。キャラを使い分けるみたいな感じで。あとは叩き方とかスネアとか、ドラマーとして実験してみたかったことはひと通りやりましたね」(佐藤謙介、ドラムス)。

「いままで1台のアンプと1台のギターでやってたんです。でも今回はギターを3~4本、アンプも3台ぐらい試しながら、〈この曲はこの音が近いかな?〉みたいに探りながらやりました」(林宏敏、ギター)。

「このバンドで初めてベースをやることになったんですけど、ずっとドラムと2人でスタジオに入ってましたね。このアルバムを通じてベーシストとしての自信が付いたと思います」(柴田雄貴、ベース)。

「もう、みんなキモイくらい自分のパートにこだわってて(笑)、それぞれ自由にやってます。でも、何がカッコイイかのジャッジはちゃんとできている。これまででいちばん〈踊って〉の音のイメージが共有できたアルバムやと思います」(下津光史、ヴォーカル/ギター)。

その〈踊ってサウンド〉は、オープニング曲“占いがあるから”から全開になっている。表情豊かなギターとタメが効いたリズム・セクション、そのルーズでドラッギーなバンド・サウンドから強烈な個性を放つヴォーカルが立ち上がってくる。ライヴ感を大切にしながらもアレンジは練り込まれていて、ギターのパートひとつ取ってもリヴァーブを効かせたエレキ・ギターにアコースティック・ギターを絡ませたりと、音の重ね方や立たせ方が絶妙だ。

「音が束になっているより、いろんなところから聴こえてくるのが好きなんです。最近は曲を引き算で考えてて、まずギターがリフを考えて、そこから引いてみたり。ドラムも手数を減らして、ベースは隙間を意識して……みたいにしていったらメロディーがバリ活きてくる。そやから、これは歌メインのアルバムなんです」(下津)。

下津いわく「好きな音を入れていたら〈サイケ〉って言われるようになってしまった」踊ってばかりの国にとって、「いちばん大切にしたいのはメロディー」。ソングライティングを手掛けている彼の「オレ、ホントに良い歌作ったなあって思います」という自信は伊達や酔狂ではない。アルバムのど真ん中に置かれた弾き語りナンバー“ルル”を聴けば、バンドの核にある歌の力を実感できるはずだ。

「飼ってた犬が死んで、その歌を作ろうと思ったんです。恥ずかしいけど、スタジオで歌詞書きながら泣いてしもて(笑)。でも、生き物が死んでるんやから、モザイクかけたらなんも響かん曲になるし、〈死ぬ〉ということの気持ち悪いところも全部さらけ出したろと思って書きました」(下津)。

そして、そんな“ルル”と対照的に〈生〉のイメージそのものなのが“SEBULBA”だ。バンドが一体となって、眩いばかりの祝祭感に満ちている。

「これ、バンドで初めてのラヴソングなんですよ。いちばんキラキラしてて突き抜けた感じがあると思ってて。アルバム・タイトル曲を作ったのも初めてやし、すごく大事な曲やと思ってます」(下津)。

思えば、踊ってばかりの国の歌は〈生と死〉をテーマにすることが多いが、サイケとはあの世とこの世の境目を漂うこと。踊ってばかりの国は、その境目で歌い、踊り続ける。祭りはいま始まったばかりだ。

 

▼踊ってばかりの国のミニ・アルバムを紹介。

左から、2009年作『おやすみなさい。歌唄い』、2010年作『グッバイ、ガールフレンド』(共にmini muff)

 

▼『SEBULBA』の先行シングルを紹介。

左から、『悪魔の子供/ばあちゃん』、“アタマカラダ”(共にmini muff)

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掲載: 2011年04月21日 16:54

更新: 2011年04月21日 16:54

ソース: bounce 330号 (2011年3月25日発行)

インタヴュー・文/村尾泰郎