インタビュー

いまさらニューレイヴやニュー・エキセントリックを思い出してみる

 

クラクソンズがダジャレ的に用いはじめてから、本気で使われはじめた〈ニューレイヴ〉。あるいは英The Observer紙の音楽記者が仕掛けたとされる〈ニュー・エキセントリック〉。わずか数年前という近過去だけに妙に懐かしくも恥ずかしいというか……こうしたハイプ的なムーヴメントの耐久年数はどんどん短くなっているし、受け手もそうした動きに対して簡単に冷めてみせることができるようになった。とはいえ、アーティストたち自身がレッテルを嫌うのは当然として、リスナーの側が先回りしてシニカルになる必要があるのだろうか? それに乗じて玉石混淆な状況が生じるとしても、結局は残る人たちだけが残るのである。インディー・ダンスやブリット・ポップが何も残さなかったわけではないし、それはニューレイヴにしても同じことだ。その時期に一括してスポットを浴びせられたハドーケン!にしろ、クラクソンズにしろ、エンター・シカリやフォールズ、ジーズ・ニュー・ピューリタンズにしろ、そしてクソ格好良い新作を届けてくれたDIOYYにしろ、ブーム後も各々の新作でそれぞれの音を鳴らしている。新しいタグが生まれるたびに〈実体は空っぽだ!〉と暴きたがるのは、逆に言葉に翻弄されているんじゃないか? 踊らされるのじゃなく踊るのであれば、ハイプは非常に楽しいものだと思う次第であります。

 

▼関連盤を紹介。

左から、ハドーケン!の2010年作『For The Masses』(Warner Bros.)、クラクソンズの2010年作『Surfing The Void』(Polydor)、エンター・シカリの2009年作『Common Dreads』(Ambush Reality)、フォールズの2010年作『Total Life Forever』(Transgressive)、ジーズ・ニュー・ピューリタンズの2010年作『Hidden』(Domino)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2011年04月22日 14:07

更新: 2011年04月22日 14:07

ソース: bounce 330号 (2011年3月25日発行)

文/煌ひろみ

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