田中靖人
様々なストーリーを感じさせる、まさに「モリコーネ・パラダイス」
サックス奏者田中靖人の新作『モリコーネ・パラダイス』は、映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネをテーマにした作品。モリコーネは、2004年にヨーヨー・マが『プレイズ・モリコーネ』を発表するなど、クラシック界でも人気が高い。そのヒットポテンシャルの高いテーマに加えて、プロデューサーがUK出身のジョン・ハール。サクソフォン協奏曲の作品が全世界で30万枚という、異例のヒットとなったサックス奏者でもある。その彼と創る田中靖人のモリコーネ。そこに何か狙いを感じてしまうのは考え過ぎだろうか。
「最初からモリコーネというテーマがあったわけじゃないです(笑)。話し合いを重ねる中で辿り着いたテーマですが、アルバム・タイトルにもなった『モリコーネ・パラダイス』という、作曲家の真島俊夫さんがアレンジして下さったメドレーを以前からコンサートで演奏していたことが僕の中では大きかったですね」
ひと口でモリコーネと言っても膨大な作品がある。その中でアルバムの冒頭を飾る《ラ・カリファ》は有名だが、日本未公開の映画から《マット、カルド、ソルディ、モント…ジロトンド》が選ばれるなど、選曲が幅広く、人気楽曲に頼っていないところが興味深い。
「僕の中にあったのは〈アレンジで色を変える〉という考えでした。原曲の良さを生かしつつ、アレンジで個性を引き立たせるような作品にしたいと思ったので、自分で選曲するよりは、作曲家の方々にアレンジしたい曲を選んでいただいた方がいいのではと思ったんですよね。おもしろいことに全く曲がかぶらなかった。反対に有名曲は、誰かがやるだろうと敬遠されたみたいです」
なかでも新鮮なのが『エクソシスト2』のメドレー。あのモリコーネがオカルト映画の音楽を手懸けていたこと自体が意外だが、それを今にもゾンビが踊り出しそうなビートと共に彼のサックスが不穏感を煽るような音色を奏でる。
「ソプラノサックスでアドリブを4パート演奏して、それをオーヴァーダビングしたのですが、闇夜からの雄叫びのように演奏するなど、僕としては楽しかったですね。それらの演奏をジョンが耳をそばたてないと聴こえないくらいのバランスでミックスしているのですが、それが反対に恐ろしさを増す感じで、効果的に使われています」
ジョンと組むのは初めて。過去の作品では彼自身が作品の企画からディレクションまでを担ったが、今回は同じサックス奏者でもあるジョンから演奏についてまで細かい指示があったという。
「ここはジョニー・ホッジス風にとか、ここはスウィングじゃなくて、もっとクールの時代の音で、といった風に具体的に指示されました。経験豊富な彼から、どんどんアイディアが出てくるし、最高の音を録るためにマイクを変えるなど労力も惜しまない。時には僕が思っていたスタイルや音色ではないものを要求されました。挑戦的なことはコンサートではやっていますが、CDでは多少の勇気が必要。いろいろなスタイルを見せることで、『君は何がやりたいんだ』と批判されそうで。でも、ジョンとのレコーディングは、絶対にいい作品が出来るという確信があったので、思い切りやってみようと思いましたね」
田中靖人は、ジャズ志望からクラシックに音大受験を機に転向した。一方ジョンも同じようにジャズとクラシック、両方の経験がある。それが2人の大きな接点となった。
「音色とか、フレージングとかは全然違いますが、音楽全体の方向性は同じ、という事実が嬉しかったし、全幅の信頼を寄せることが出来た理由です。僕自身はクラシック、ポップス、ジャズというのはジャンルではなく、スタイル、語法の違いだと思っているんですね。僕の本籍はクラシックだけれど、いろいろな語法を取り入れて表現することをデビュー時からやってきた。それはジョンも同じだったので、彼の求めていることを理解することが出来たのだと思いますね」
映画には起承転結があり、その途中でいろいろな会話や風景が出てきて、現実と非現実のドラマの世界で観客をワクワクさせる。田中靖人の新作『モリコーネ・パラダイス』も美しき《ラ・カリファ》から始まり、愛を囁くような甘美な演奏、明日を夢見るような快活な演奏、空間に哀切が漂うような音色など、表情豊かなサックスを披露し、名曲《ガブリエルのオーボエ》で幕を閉じる。ストーリーが感じられるのと同時に、サックスの魅力を多面的に楽しめるアルバムになっている。最初の質問に戻ってしまうが、今回ポテンシャルの高い作品をジョン・ハールと一緒に制作した意図とは。
「ジョンと組んだのはマルチな才能の持ち主だからです。最後に収録の《ガブリエルのオーボエ》も彼のアレンジ。これは狙っているというよりは目標ですが、世界リリースを視野に入れて制作したことは間違いないです」