インタビュー

コトリンゴ

ライヴを経てかわっていく、“うた”と“こえ”

あたかもライヴを録ったかのようなアルバム。

「2、3、4曲目はライヴでやってきて、その曲順でもあるんです。ライヴも録音もおなじ3人ですし。実際、テイクも少なかったですね。一球入魂みたいなかんじで(笑)」

音が生き生きしている。 “バンド”というかんじがある。アレンジがまた、きらきらとたのしい。

「こんな雰囲気、というのをうちこんだデモを渡して、一緒につくってゆく。ライヴでやっていくと、だんだん練れて、変わっていきますよね」

英語の歌詞がほとんど、というのもあるか、と。

「日本語で考えたときのメロディと、英語で考えたときとは、全然違う。ノリも違うし、しっくりくるかんじも違う。わたしのは子どもが話す英語だとおもっているんです。だから難しいことも言えない。でも逆に、簡単なことを、するするっとでてくるようなかんじでメロディにのせていける」

うたの場合、詞と曲とどちらが先に?

「ことばが先です。イメージですね。何を書きたいか、どういう気持ちのものか……イメージと感情と、ですかね。ただ、ことばがないメロディは、ずっとやってきたはずなのに、ことばをのせた作業をおぼえてしまうと、ことばのないメロディがむずかしくなってしまったんです。ことばがあると自然に抑揚がつけられるとおもうけど、それがないと、どうやるんだっけ? と、なってしまう」

ことばにはイントネーションがあるからつけやすい、とか。

「それはあるかもしれません。文章のながれや意味もあるし……。コードをひいて、ことばをのせると、わたしのなかでは音程がすっとできる。でも、そういうのがなくなると、ただ単に指がうごくようにというのとは変わってきて。シンプルで、うたのようだけど、それをあえて楽器に弾かせるメロディって、なんだろう? って、おもったりしています」
これまでより、歌い方がいろいろになっている。

「たぶん、ライヴをやっていくにつれて。はじめは『え?』というくらい声をだしていなかったんです。うたに対するおもいとかも、いまほどには持っていなくて。声についても、わりあい楽器みたいな扱いだったんですね。でも、声に対するアプローチも変わりましたね。歌っていて楽しくなりました。ライヴでは緊張していたし、もうできるだけやりたくない(笑)とおもっていたけど、いまはほんとに楽しくて」

カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2012年05月02日 13:13

ソース: intoxicate vol.97(2012年4月20日発行号)

取材・文 小沼純一(音楽文芸批評家/早稲田大学教授)