インタビュー

セルジャン・ガルシア

photo by : Shinya Watabe

ヨーロッパ発のラテン・ミクスチャーは、クンビアのリズムで

セルジャン・ガルシアのサウンドに初めて触れたのは、2005年リリースの『Sin Fronteras』のあたり。サルサとラガマフィンを混ぜ込んだそのサウンドから、ヨーロッパあたりに拠点を構えたラティーノだろうと思い込んでいて、名前もセルジャン、ではなく、サルヘンテ・ガルシアと呼び習わしていたくらいだ。(英語読みで行けばサージェント…となるところだが、本稿ではフランス風に「セルジャン…」と表記する)

そのセルジャン・ガルシアご一行が、日仏会館の記念イヴェントへの出演をメインに来日するという。なんで彼らが日本でのフランス文化の拠点で? と思い、改めてバイオをチェックしたら、セルジャンことブルーノ・ガルシアはスイス国境に近いフランスの山村生まれだった。「父親はスペイン人で母親がフランス人。だから家の中は色々な言葉や文化が飛び交っていたんだ。歌詞のほとんどはスペイン語だけれど、どうもその方がしっくり来るのでね」。子供の頃は象牙海岸出身の父親を持ついとこと過ごしたり、家にあったアフリカやカリブ音楽のレコードを聴いたりと、実にミクスチャーな環境で育ったという。

そんな体験がベースになっているのか、今回来日した彼のバンドも多国籍だ。「バンドは4カ国からできていてね、スペイン、キューバ、コロンビア、そしてフランスさ」。ブルーノと一緒にスパニッシュ・ラップをまくし立てるのが、ソロでも活躍しているスペイン人のスパ・バッシー。クラリネットとコロンビアスタイルの大きなマラカスをふるのはコロンビア人のハコボ・ベレス。キーボードだけでなく、ステージではアコーディオンも披露したのはキューバ人のアルド・メディナと多彩なメンバーが集まっている。そしてもう一人のキーマンと言えるのは、ドラム、パーカッションのキューバ人、イバン・モントーヤのようだ。「僕にとってジャマイカとキューバに出会ったことは大きな転換点になったんだ。イバンはサンティアゴ・デ・クーバの生まれで、僕らのサウンドには欠かせない人物さ。そして二人で出会ったコロンビアの音楽もまた、大きな転換点になったんだ」 コロンビア文化と出会ったことにより、セルジャン・ガルシアの〈サルサマフィン〉は〈クンビアマフィン〉に進化。フランスでさらなる支持を得て、世界中を駆け巡っている。ヨーロッパ発のミクスチャー・サウンドのキーパーソンとして、これからもチェックしていきたいアーチストだ。

カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2012年08月15日 12:37

ソース: intoxicate vol.98(2012年6月20日発行号)

取材・文 渡部晋也