ドレスコーズ 『the dresscodes』
バンドらしいバンド、そう言うべきか。2012年に誕生したこの4人組が初のアルバムを完成! これから何が起こるかわからない、未完成の粗々しさが美しく輝いてるよ!
みんなが本音を言い合うバンド
〈志磨遼平のバンド〉ではない。あくまで志磨もその一員として名を連ねるバンドである。まだ結成されて1年も経っていないこの4人組の魅力を一言で伝えるには、何よりそうした紹介がいいだろう。
そう、毛皮のマリーズのフロントマンとして武道館のステージにまで登り詰めた志磨が、その栄光を捨て去り、いま一度再出発を果たした——それがドレスコーズだ。映画「苦行列車」の主題歌にも取り上げられた、7月にリリースされたデビュー・シングル“Trash”を聴いた方ならわかるだろうが、服装指定を意味する〈ドレスコーズ〉というフォーマルなイメージの名前にして、実際はカジュアルにドレスダウンさせたロックンロールが身上だ。
「とにかくまたバンドをやりたかった。ソロになるというアイデアはまったくなかったですね。(毛皮のマリーズの)『ティン・パン・アレイ』というアルバムは実質僕のソロのような作品でしたけど、一人で作ってもあれよりイイものは絶対作れないと思う。そもそも毛皮のマリーズって最初から終わりを何となく想定してやっていたところがあるんですよ。例えば、制服があるから抵抗してボンタンを履きたくなるみたいな感情ってあるでしょ(笑)? その爆発力みたいなものが毛皮のマリーズにはあったんですね。でも大人になったら制服を着なくても良くなるというのがわかっていた。だから卒業した。でもマリーズが終わってもやっぱり僕がやりたいものはバンドだったってことなんです。ただ、ドレスコーズは卒業した後のバンドだから違うんですよ」(志磨遼平、ヴォーカル)。
結成のいきさつは至極シンプルだ。まだ毛皮のマリーズが活動している最中のこと、ある日のライヴ終了後に志磨が突然解散したい旨を当時のメンバーへ伝えた。その後、旧知の仲間であり、マリーズのライヴ・サポートも務めていた菅大智(ドラムス)らに声をかけ、マリーズの昨年いっぱいでの解散を待ってから本格的に動き出した。そして、今年の元旦に初ライヴ。メジャー・フィールドで大成功を収めている志磨に突然声をかけられたメンバーたちは、最初は戸惑ったそうだが、いざスタジオに入っていっしょに音を出すと、驚くほどスムーズにバンドとしての立脚点が固まっていったという。そこに志磨は、過去に感じたことのない手応えがあったと語る。
「同じバンドでも、マリーズは〈バンドではないバンド〉だったんです。でも、ドレスコーズは違う。僕、誰かといっしょに最初から何かを作るということをほとんどやったことがなくて。マリーズも基本的に僕一人で作ったものをバンドで合わせるというやり方だったんですけど、このバンドではイチからみんなで曲を作っているんです。この3人は僕の感覚を理解してくれる仲間なんですよね」(志磨)。
「僕と志磨くんは毛皮のマリーズが結成された頃からの知り合いですけど、その後ほとんど交流もなくて。インディー時代の闘っている感じの志磨くんが好きだったんですが、最近の彼を知らなかったので最初はちょっと不安もありました。でも、まずはいろいろコピーをしてみようって感じで気軽にスタジオでセッションしてみたらとても楽しくて。で、ザ・フーの“Tattoo”、オンリー・ワンズ“Another Girl, Another Planet”をやりたいって主張しました。本気でいっしょにバンドをやるなら、やりたいこと、方向性をちゃんと伝え合わないとダメだなって思ったんです」(丸山康太、ギター)。
「で、僕はフランキー・ヴァリの〈君の瞳に恋してる〉とかキュアーの“Boys Don't Cry”、あと〈禁じられた遊び〉とかシャンソンの〈枯葉〉をやりたいって主張したんです(笑)。そうやって本音を言い合ってワイワイやるのがとにかく楽しかった。ああ、こういうのやったことなかったなあって、そういうフレッシュな気持ちからみんなで曲を作りはじめましたね」(志磨)。
バンドが動き出すまでのドキュメンタリー
無邪気に音を鳴らして4人の呼吸を合わせていくなかで、徐々にドレスコーズとしての骨格が出来上がっていったそうだが、まだ何かが足りない。そう感じていた志磨は、Qomolangma Tomatoの元メンバーである山中治雄に声をかけた。最後にドレスコーズに合流した彼は、昨今のUSインディー・ロックが好きだというベーシスト。言ってみれば、ローリング・ストーンズのなかにソニック・ユースのメンバーが加入するくらいの大胆な邂逅だった。
「この3人は世の中の新しい音楽にはほとんど興味を持たない(笑)。だから、僕が入ったことでアンサンブルが少し変わるとおもしろいなというのはありましたね」(山中)。
「一度、僕と志磨くんとで、呑みの場でですけど〈ハードコア・パンクって何なのか?〉みたいな論議を交わしたことがあるくらい馴染みのないジャンルなんですが、山中くんは理屈ではなく感覚がパンクなんです。そこが僕らには新鮮でしたね」(菅)。
「そう、丸山くんや僕は伝統的なロックンロールの、敬虔な信者。菅さんもそういうところがある。だから、このドレスコーズは懐古趣味みたいなバンドになる可能性もあったんですけど、山中くんが入ることでDNAが変わった。そこからですね、オリジナルの曲が一気に出来ていったのは」(志磨)。
ジャンク・ロック・スタイルの“Lolita”に始まるドレスコーズのファースト・アルバム『the dresscodes』は、そうした4人の指向が、大きなヘラで2回、3回とザックリ掻き混ぜられたようにラフな仕上がりだ。材料がよく混ぜ合わさった末に起こった化学反応……というよりも、まだ材料と材料がぶつかって音がしているところを残した作品と言うべきだろうか。だが、そうやって適度に緊張感が滲み出ているのがいい。
「みんなで音を鳴らしても、いままでだったら〈それはない。なぜなら僕の頭のなかにないから〉と却下したのが、いまは〈じゃあ、どういうものなのか教えて〉というスタンスに変わったんです。そこで鳴っている音のひとつひとつの必然性をちゃんと確認し合いながら進めてく。僕自身、まだそのやり方に慣れていないところもあるけど、それがとてもおもしろかったんですね」(志磨)。
「もちろん、まだ慣れてないところもありますけど、本気で挑んでいるし完成度の高いものを作れたという自負はあるんです。ただ、アルバム順に聴いていくと、ひとつのバンドとなっていく流れが確かにここにあるような気もする。最後から2曲目に入っている“(This In Not A)Sad Song”が出来た時、ああ、このバンドの方向が見えたなと感じましたからね」(丸山)。
サーフ・ロック風ガレージ・パンクの“ベルエポック・マン”、キンクスやザ・フーのようなブリティッシュ・ロック調の“ストレンジピクチャー”、USパワー・ポップを思わせる疾走感の“SUPER ENFANT TERRIBLE”、シャッフル・ビート+シャンソンといった感じの“Automatic Punk”、志磨がスタジオを留守している間に他の3人で作り上げたという“リリー・アン”など、全体を通じて目の粗いロックンロールが基調になっているとはいえ、リズムやアレンジのヴァリエーションは何とも幅広い。だが、強引に統一感を持たせようとはしていない。とにかくやってしまおう、という無邪気さや青さ。4人はそこにこのバンドの原動力があると話す。
「“(This Is Not A)Sad Song”って楽譜に起こせない曲なんですよ。これ、僕のチャンネルにある曲じゃないなって最初は思ったんですけど、この曲に僕ら4人の〈せーの〉で出した瞬間の空気を宿したいなって思ったんです。このアルバムって、いわばバンドとして動き出すまでのドキュメンタリーなんじゃないかなって。この後どう変化、成長していくのかは僕らも楽しみなんです。いっしょに音を出してみないとわからないですからね!」(志磨)。
もちろん、志磨はスポットライトの似合うロック・ヒーローだ。だがいまの彼は一人のバンドマンとして、次に何が起こるか想像のつかない未知の躍動感に身を任せている。ならば、われわれもドレスコーズという名の暴走列車に飛び乗ってみよう。ドレスコーズは、たったいま発車したばかりだから。
▼関連盤を紹介。
左から、毛皮のマリーズの2011年作『THE END』、ドレスコーズの2012年のシングル“Trash”(共にコロムビア)、Qomolangma Tomatoの2007年作『チョモと僕は柵の中』(RESERVOTION)、ザ・フーの67年作『The Who Sell Out』(Track/Polydor)、オンリー・ワンズのベスト盤『Original Album Classics: The Only Ones』(Columbia)、フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズのベスト盤『Working My Way Back To You』(Rhino)
カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2012年12月05日 18:00
更新: 2012年12月05日 18:00
ソース: bounce 350号(2012年11月25日発行)
インタヴュー・文/岡村詩野