Ed Motta
前世は日本人だったかも? マニアックな話しが止まらない!
Photo by Tsuneo Koga
71年、リオ生まれ。ただし、このブラジル人の最愛のシンガーは、ダニー・ハサウェイ。そして70年代のAORや80年代のブラコンへの傾倒を隠そうとしない。それどころか、70年代の日本のシティ・ポップ通でもある。最新作の『AOR』というタイトルも、本来の意味ではなく、日本で一般的に使われている“Adult Oriented Rock”というニュアンスが強い。
「子供の頃の僕はレッド・ツェッペリンが大好きで、ブラジル音楽には関心がなかった。もっとも、叔父のチン・マイアの音楽を通じて米国のソウル・ミュージックが好きになったので、ブラジル音楽に全く影響を受けなかったと言うと嘘になる。でも、僕が自らすすんでアントニオ・カルロス・ジョビンの音楽を聴くようになったのは、11歳になってからなんだ」
年長の友人や知人に囲まれて育ったため、早熟な少年だったという。『AOR』に収録されているスティーリー・ダン調の《1978(Leave The Radio On)》は、自伝的なオリジナル曲だ。
「僕にとって78年は、とても重要な年。この年に僕はクリストファー・クロスやジャーニーをきっかけに米西海岸の音楽が好きになり、レコード・コレクションを始め、ロサンゼルスに憧れるようになった。また、初めて一人で映画館に行ったのも、78年だったんだ」
エヂ・モッタは音楽マニアであるだけでなく、映画、漫画、アニメ通でもある。黒澤明や鈴木清順、手塚治虫などを絶賛し、日本のシティ・ポップにも賞賛を惜しまない。それだけに、今回の来日公演では、山下達郎の《Windy Lady》を日本語で歌った。しかもリード・ギターは、かのデヴィッド・T・ウォーカー。こんな酔狂なブラジル人ミュージシャンは他にいない。
「初めて購入したシティ・ポップのアルバムは、吉田美奈子の『Flapper』。eBayで手に入れたんだ。以来、僕はシティ・ポップのレコードをコレクトしまくっている。もちろん、ヴァイナルで。10年前に初めて来日した時は、日本のシティ・ポップやジャズを中心に約3000枚の中古盤を買って帰ったよ(笑)」
『AOR』はボーナス・トラックを除くと、すべて英語で歌われている。どれも曲が先行で、あとから元ガリアーノの英国人ロブ・ギャラガーに英語詞を付けてもらったそうだ。
「僕は英語の語感やリズムに合う曲を作ろうと思っているので、デモの段階では適当な英語風の言葉で歌っている。そう、意味が全く通じないインチキな英語(ハナモゲラ語)でね」
こんな作曲の方法も、70年代のシティ・ポップときわめて似ている。