インタビュー

東京、ロンドン、パリ 常に移動しながら音楽制作を続けている



鷺巣(の音楽活動)について語る上で、避けて通れない重要ポイントの一つに、「移動」がある。彼は90年代初頭、活動拠点をヨーロッパにも求め、パリ、そしてロンドンへと渡った。彼がパリに開いたクラブ(93〜94年)は、当時隆盛しつつあったフランスのクラブ・カルチャーに少なからず刺激を与えたようだ。

「もっとも、クラブ経営者として成功したいなどという思いは全然なかったんです。ロンドンから知り合いのミュージシャンをたくさん呼んで、新しい音楽的実験をしたかっただけでして。ロンドンは元々、知り合いのミュージシャンが多かったから」

現在も、東京、ロンドン、パリの3ヶ所に自宅と仕事場を持ち、常に移動しながら音楽制作を続けている。東京の自宅にいるのは、年間を通して計2〜3ヶ月程度だという。

「三つの文化のトライアングルの中を移動しながら今も活動しているけど、それは自分の音楽表現にも間違いなくフィードバックされていると思う。一つの場所の離れると、そこを客観的に俯瞰して見られるという利点は大きいし、そこの良さが、よりわかってくる。

僕の場合は、煮詰まるという経験をしたことがないんです。常に音が溢れ出てきて、それを受け止めるのに精一杯の状態。滝つぼにたらいをかざすような感じで。だからこそ、落ち着いて譜面を書ける場所が必要なわけで、それに最適なのがパリの自宅とスタジオなんです。それをロンドンに持っていって、実際に音にする。音楽のプロダクション規模とレヴェルは、ロンドンが今は世界一だと思う。レコーディング・アートには最適の場所です。そして最後に、大部分のクライアントがいる東京で仕上げる。そんな感じで、三つの場所がうまく機能している」

3ヶ所の特性に沿って絶え間なく移動する中で、溢れ出る音楽を形にしてゆく、そのスケール感とスピード感は、何よりも彼の紡ぎだすサウンドそのものによく表れている。

「ミュージシャンというのは元々、移動する職業だと思うんです。ミュージシャン=旅というか。旅/移動を続ける僕の中には“ただいま”が絶対にない。常に“行ってきます”だけ。“ただいま”に伴う疲労感が、自分にとっては耐え難いというか。よく、張り詰めていたものから解放されたとたんに体調を崩したりするけど、僕は、そういった安心感には馴染めないんです」

常に、戦闘態勢?
「戦闘体勢というよりも、遠足の前夜の高揚感かな。それは自分にとって、何よりも大事ですね」

ローレン(・ブリスコウ)やヘイゼル・フェルナンデスをはじめとする“鷺巣組”の信頼すべきシンガーや数多くのプレイヤーたちが参加した新作『SHIRO'S SONGBOOK‘Xpressions'』は、計28曲が詰まったヴォリュームたっぷりの2枚組。オーケストラやゴスペル・クァイアなども随所に参加し、ジャズ、ソウル、クラシック、教会音楽などが渾然一体となった重厚かつ壮麗な音絵巻に仕上がっている。鷺巣のトレードマークとも言うべき、ゴージャスにして精緻なストリングス・アレンジは、相変わらず見事のひとことだ。「肩書きを一つだけ付けるなら、やはり作編曲家ですね」という本人の言葉どおり、アレンジの細部がメロディを完結させ、楽曲の立体感を生み出してゆくマジカルな手腕は、この人だけのものである。ここには確かに、遠足前夜の高揚感が、ある。



カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2014年01月07日 10:00

ソース: intoxicate vol.107(2013年12月10日発行号)

interview & text : 松山晋也

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