Vijay Iyer
©Bill Douthart / ECM Records
認知科学によるリズムへの分析的アプローチの実践
日本でどれくらいリズム、特にポリリズム/クロスリズムが教えられているものなのか実態についてはまったく分からないが、昨年、東京芸大で菊地成孔がまさにこのテーマで講義を行っていた(現在はニコ動のメルマガで会員登録し購読すれば視聴することができる)。この講義に参加するため行った下調べで、欧米ではリズムについての分析が随分盛んだということに気がついた。アフリカのリズム~クラーヴェ(カリブ/南米)~ジャズ(北米)のリズムの組成と生成を比較分析するために、様々な数学的/認知科学的/文化人類学的アプローチがとられていて、その成果をWEB上に発表し、様々な研究者が共有している。
今回、あらたにECMがサインしたピアニスト、ヴィジェイ・アイヤーは、まさにあらゆる音楽のリズムについてさまざまな比較分析を実践し、彼自身の音楽イディオムを構築したアーティストの一人である。かつて90年代にM-Bassが立ち上がったころ、その主宰者スティーヴ・コールマンのサイトに上がっていたM-Bassのマニフェストは彼が書いたものだった。M-Bassは、ヒップホップの影響下でジャズのグルーヴを再構築し始めた最初期の集団であり、彼らはジャズが基本的には反復的なリズムによるグルーヴによって生成する即興的音楽言語であることをはっきりと系統的/発生的に示しつつ、さらにその言語の下部構造の更新を実践する集団だった。ヴィジェイは当初から「リズムはあらゆる音楽の基礎」と考え、リズムについてリサーチを続けその分析的理解をもとに、彼の音楽、つまりジャズを実践してきた。すでにACTレーベルでリリースした彼のピアノトリオでは、アフリカ的かつ、彼自身の血でもある北インドのリズムのアイデアを基に反復的かつ加算的に変化するリズムによるまったく新しいグルーヴが聴ける。
「いろんなリズムを分析した結果、リズムとはこういうものだという考えにいたった。まず、あらゆる音楽の基礎であること、そしてとても複雑なポリリズムを構成し、とてつもなく複雑なリズムであっても聴き手、あるいはダンサーに伝わりうるものであること、第三に、既在のリズム、伝統的なリズムを用いつつ、新しいリズムを創り出せること、構造的な類似性を維持しつつ、新しいリズムを創ることが可能であることに気がついた。たとえば、アフリカ音楽のポリリズムの垂直的な構造をより線的な、加算的つまり水平的なインドのパーカッションとともに併存させるようなリズムのレイヤーを試みている。私が優先するのは錯綜とした感じよりはグルーヴだけれど、しかし、両方があったほうが面白い」
彼のリズムについての考察は、彼のオフィシャルページに上がっている修士論文でさらに詳しく読むことができる。M-Bassは音律、律動の双方においてア・シンメトリー/シンメトリーな構造分析を多角的に行うが、彼もかつてオリヴィエ・メシアンがおこなったようなリズムに対する実践をジャズに移入するのだ(メシアンにおいてそれは非可逆/可逆〜逆方向から読んでもリズムが変わらないということ)。今回ECM初となるアルバムに発表された作品は、ピアノソロ(電子音)とピアノ五重奏の作品『ミューテーション1~10』で構成された。
「『ミューテーション1-10』は、9年前に作曲した、ピアノとラップトップ、弦楽四重奏のために書いた作品です。カルテットのサウンドを元にPCでコントロールするテクスチャーとリズムの音を創り出し作品に取り入れました。それ以外の三曲はピアノとエレクトロニクスのためのソロ演奏の作品です。どうしてこの作品を書き始めたか忘れてしまったのですが、音楽、アートや世界に対する私の理解を押し広げたいという欲望にかられたのだと思います。フレーズやメロディ、リズムやパターンといった部分的な要素からの進化、変貌といったいつもつきまとうアイデアがあり、ミューテーションというタイトルがしめすこと、それがこの作品のコンセプトなのです。10断片それぞれ固有の方法やコンセプトがあり、これらのアイデアは、素材を駆動するためのものです。クラシックの演奏家を、リアルタイムに変化する戦略、つまり即興に巻き込みたかったということがあります。そういう意味では、即興のエチュードと言えるかもしれません。それぞれの拍子ですが、No.1は8+5拍子、No.3は4/4のクロスリズム(クロスするリズムの拍子は隠しました)、No.4は34拍子、つまり8×4と最後に2拍、No.6は3/2ですがクロスリズムですね。No.8は4拍子で、No.10は、11拍子ですが、3つの異なる拍子の組み合わせです。それ以外、電子音楽だけの部分については拍子はありません」
ようやく本格的なポリリズムの転移がジャズによって始まったのか。先の修士論文に彼が書いているのだが、律動の感じ方は、文化の違い、個人の趣向や教育によって異なり、いろんな聞き方が可能。しかし、ポリリズムが美味しいからモノリズムが面白いというのがジャズの定説だと痛感させてくれるのが、ヴィジェイの音楽だし、ジャズそのものなんではないだろうか。この作品をモンク・マナーのバルトーク、といってくくりたい。
新たな沈黙の兆し~ NEW RELEASE 2014 January - March
ななんと、ポール・ブレイ(p)のソロ!である。ベーゼンドルファーのインペリアルの低空に雲が立ちこめるような響きがECMらしくないが、この毒舌ピアニストのひりひりするようなソロが突如リリースされる。『オープン・トゥ・ラブ』はポール本人ですら超えることのできない名盤だったが、ECMの重鎮エンジニアを迎えオスロのジャズフェスで収録されたこのソロは、冒頭から名盤の風格が漂う。もはや中堅、トルド・グスタフセン(p)が8枚目となるカルテットのアルバムをリリースする。ヤン・ガルバレクを彷彿とさせるテナーの音色にぐぐっと来るが、キースさまの欧州カルテットに比べて展開が緩やかで落ち着いた雰囲気がいい。そしてこちらはポール・ブレイ同様大御所のアリルド・アンデルセン(b)のサックストリオの新譜だ。びっくりするほどオンマイクで吹くトミー・スミスのテナーにしびれる『アルフィー』、最高ですよ。ECMからロリンズのヴァンガードのライヴを思い出す蒸し暑いジャズアルバムの登場です。