『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る週間日記コラム。今週は、70年代後半にデビューしたUKハードコア・バンド、クラスについて。
2004年10月24日(日) CRASS『The Feeding Of The 5000』
今、自分の中で好きな人が二人いる、それは宇川直宏君と中原昌也君だ。この連載も、中原君がEYESCREAM誌でやっている連載を読んで「ぼくもこういう連載がやりたい」と思ったことがきっかけになってやらせてもらっている。どうして二人のことが好きなのかといわれてもうまく説明出来ない。
中原君のほうは、愛がないようで愛があるのだ。中原君の音楽を好きな人って「変だから好き」という人が多いような気がして、ぼくはそういうのに違和感を感じたり、嫌だなと思ったりしていた。アンディ・ウェザオールがキース・リチャードの言葉を使ってその辺のことを「この頃の人はロックン・ロールについてよく語るけど、ほとんどの人がロックは知っているけど、ロールについては知らない」と言っていた。
ぼくもそういう気持ちでこの連載を書いている。もし、日本のロックがダサイとするなら、日本人はロックはできるけど、シャッフル(ハネる)出来ないからじゃないかと思う。こういうことを書くと中原君には「シャッフル? ケッ」と言われそうだが。ロックって今やダンス・ミュージックとかけ離れてしまっているような気がするけど、ロックン・ロールとはダンス・ミュージックなのだ。そこを分かっている人と分かっていない人の違いは本当に大きいと思う。
一方の宇川君は、彼が初期に手掛けた作品にクラスのアートワークをコラージュ(レイプ?)しているのがあって、その時は気にしてなかったのだが、宇川君の天才ぶりにやられるにつれて、クラスが気になって仕方がなくなってしまったのだ。ぼくはクラスよりも前のパンク世代だったので、クラスが良く口にしていた反戦とか、アナーキー・マークをかっこいいものだとは思っていなかった。というか、どこかヒッピーみたいで嫌だなと思っていた。
関西ではクラスが出てきた当時、モヒカンでクラスみたいな格好をした奴らが神戸の方から沢山現れた。ぼくは舌打ちしながらも、すこしかっこいいなと思っていた。雑誌の取材でクラスが共同生活をしているコミューンに行ったことがある。今から考えるともっと真剣に見ておけばよかったが、当時はコミューンに対していい印象を持っていなかったので仕方がない。残念だ。そういえばライヴにも行ったんだよな。
『The Feeding Of The 5000』はクラスの初めての12インチ・シングルで、当時はシングルの値段でアルバム分の曲が入っているというのが話題だった。商業主義を否定し、音も自分たちのスタジオで全て自給自足。当時は音が悪いという印象もあったし、内容も激しくて無茶苦茶だったような気がしたが、今聴くとそうでもない。実は、クラスの作品を買ったのは今日が初めてだ。そしてもう買わないと思う。でもぼくはクラスのことが好きだ。スロッビング・グリッスルにも同じ感情を持っている。多分この連載の為にスロッビング・グリッスルのアルバムを1枚買うだろう。でもそれだけだ。クラスとスロッビング・グリッスルを生んだパンクがぼくは好きだ。それを支えてきたラフ・トレード・ショップ(70年代後半代以降のUKインディー・ロックを支えてた伝説的レコードストア)、ジョン・ピール、イギリスのお客などがぼくは好きだ。それだけだ。